ヤマトタケルの自伝 22
行方の国から陸路、わたしは従者を引き連れてさらに北のほうに進んでいた。そして当麻(たぎま)まで来た。
この地を支配するカラスヒコを征伐することが目的である。
常陸に入って味方になり一緒に従軍してきた蝦夷の長老によると、この地を支配しているカラスヒコは周囲の民族とは調和せず、あまり評判がよくないそうであった。
それでもまずは恭順を進める使者を送ってみたのだが、カラスヒコは刀を振り上げ使者を追い払ってしまったのである。
はたして、カラスヒコはわたしが來るという情報を得ていたのだろう、わたしが通りかかると襲いかかってきた。しかしこれまで数々の戦いを征してきたわたしの敵ではなかった。
カラスヒコはあっさりわたしに斬り殺されてしまった。
そこから少し南に戻り、芸津(きつ)に至った。そこはキツビコ・キツヒメが支配している地で、この二人も評判はあまりよくないらしい。そこでこの二人の朝廷に従えるべく、わたしはこの地に進んでいったのであった。
やはりここでも、キツヒコはわたしに攻撃を仕掛けてきた。もちろん、キツヒコもあっさりとわたしに斬り殺された。
そしてその勢いでわたしはキツヒメも攻めたてようとした。その時である。
キツビメは白旗を掲げて降伏してきた。
降伏してきたものを殺す道理もない。わたしは降伏を受け入れ、キツビメはわたしの臣下となった。
そこから進んで、小抜野(おぬきの)に仮宮を構え、そこにしばらく滞在することにした。
するとキツビメは、雨の日も風の日も、朝夕に姉妹を引き連れて仮宮に仕えてくるようになったのだ。
わたしはそのまごころに打たれ、キツヒメの姉妹をいつくしみ、ねぎらたのだった。
こうしてわたしは常陸の国を平定した。もう東国にも、朝廷に反抗する部族はほぼ制圧された。
わたしは東征の目的を達成したのであった。
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この話も記紀にはなく、常陸国風土記に記載されている物語です。
風土記は奈良時代初期に、律令制度の下での地方支配を進めるため、各国の国庁に編纂が命じられたものです。
現在では常陸国風土記のほか、出雲・播磨・肥前・豊後の各国、5つの風土記のみが写本として伝えられています。
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