ヤマトタケルの自伝 26
東国の蝦夷は平定され、みな朝廷の命に従うことを約束した。しかしまだ信濃の国、越の国には、まだ朝廷に服していない民族が残っていた。
それらの民族を平定するために、わたしは信濃国に向かっていたのである。
東国から付き従ってきたオオタチバナヒメは、一足先に大和に帰した。この先、険しい道が続き、また危険も伴う未開の地である。女の足では厳しいだろう。
また、越の国には、わたしの部下のキビノタケヒコを遣わした。
東国遠征の際、父の天応から伴としてつけられたキビノタケヒコである。最初はどんな人物かもわからず、非常に不安に思っていた。
しかし、彼はとても優秀な参謀だった。
聞けば、彼は些細な意見の違いから父の天皇とは対立し、疎まれていたという。そして同じく父の天皇から疎まれていたわたしの、東国遠征の伴として指名されたのだった。
しかしそんな彼の頭脳は優秀で、いつも的確な助言を私にしてくれていた。またとても勇敢で、時には賊を倒すために自ら単身で乗り込んだこともあった。
そんな頭脳と行動力も、父の天皇に嫌われた一因だったのだろうか。
わたしはそんなキビノタケヒコを信頼し、越の国の平定を彼に任せ、自分は信濃の国へ向かったのである。
信濃は山は深く、谷は険しい国だった。切り立った山脈は幾重にも重なっていた。
人は杖無しではとても歩けない国だった。岩山の隙間に作られた道は、馬は恐れて歩みを止めるほどだった。
そんな中、わたしは雲を分け、霧の中を貫いて進んでいった。そしてその途上、岩々に隠れ潜んでいるいくつもの部族を、時には話し合いで教え諭しながら朝廷に服従させ、時には剣を振るって立ち向かい斬り殺しながら、順々に信濃の国を平定しながら進んでいったのである。
しかし、そんなある日・・・
「ん・・・ここはどこだ・・?」
そう、わたしは信濃の山深い所で道に迷ってしまったのであった・・・こんな山深い所で道に迷うということは、すなわち死を意味する・・・
・・・ああ、もうここで終わりか・・・
わたしは三日三晩、山中をさまよった。しかし、道は見いだせない・・・食料も無くなった・・だいぶ体力も消耗してきた・・・もうこれまでか・・・
「ヤマトタケルさま・・・大丈夫ですよ!もう少し行けば、道は開けるはずです!」
わたしに付き従ってきた従が声をかける。しかしそれが気休めにすぎないのは、わたしも従者もわかり来ていた。
「いや・・・ありがとう・・・今日まで私についてきてくれて、感謝しているよ・・・」
わたしはそういうと、覚悟を決めて目を閉じた・・・
その時だった!!
「ヤマトタケルさま!これは・・・」
わたしは従者の叫び声に目を開けた。そこには・・・
一匹の白い犬が、わたしを見つめていたのだ。かと思うと、犬は向こうを振り向き、尾を振り出した・・・まるでついて来いと云わんばかりに・・・
これは神が遣わしたに違いない・・・そう確信したわたしは、従者らに向かて
「あの犬のあとをついていくぞ!!」
わたしは力強く、従者に向かて言った。
そして我々は、犬のあとについていった・・・
果たして我々は、無事に美濃国まで抜けることができたのである!
そしてわたしは、そこでキビノタケヒコとも落ち合うことができたのだ。
聞けば彼は無事、越の国を平定した。そして美濃の国までくれば私に会えると確信し、山を越えてここまで出てきたという。
・・・すべては神が遣わした、白い犬の力に違いない・・・
「白犬くん、ありがとう!!本当に助かったよ!!」
そう言ってわたしが白犬の方を振り返ったとき・・・
白犬はどこに行ったのか、忽然と姿を消していたのだった・・・
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☆キビノタケヒコ
ここに出てくるキビノタケヒコ(吉備武彦)はヤマトタケルが東征に出発するときに、景行天皇より大伴武日連(おおともたけひのむらじ)とともに従者として遣わされました。
なお、古事記においては御鉏友耳建日子(みすきともみみたけひこ)が天皇により遣わされたことになっています。
御鉏友耳建日子と吉備武彦が同一人物であるとされています。
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