古事記の話

古事記を小説風に書き直してみました

新治 筑波をすぎて・・・

ヤマトタケルの自伝 25

 

 

わたしは足柄峠を越えて、甲斐の国まで来ていた。

 

わたしは甲斐の国の酒折宮(さかおりのみや)に一時滞在することにした。

その夜、宮では焚火がたかれ、そのあかりの中で食事をとり、休憩していた。わたしはその火を見つめているうち、なんともいえぬ思いがわたしの胸の内を襲ってきた。

 

・・・自分が滅ぼしたクマソタケルにイズモタケル・・・

わたしは彼らには何の恨みもない。なのになぜ・・・わたしは彼らを惨殺してしまったのか・・

 

それは、ひとえに朝廷の権威を日本全国に広げるため・・・

 

そのために海に身を投じたオトタチバナヒメ・・・

 

しかし姉のオオタチバナヒメはわざわざ東国まで訪ねてきてくれて、いまもわたしに寄り添ってくれている。妹のことは一言も言わずに・・

そして尾張で待ってくれているミヤズヒメ・・

その他大勢の妻たち・・

 

・・・母のように慕っている伊勢のヤマトヒメ・・・

 

彼女たちに報いることを自分はしてきたのだろうか・・

 

・・・そして、父の天皇・・

わたしは天皇の命令で日本各地の敵を討伐してきた・・・しかし、父の天皇がわたしを遠ざけているのは明らかなのだ・・・

 

・・・結局、何のために私は日本各地を遠征し、何の恨みもない者を討伐してきたのだろう・・・

 

暗闇の中、焚火の炎がやらめいている。その炎を見ていたわたしは・・

 

  新治 筑波をすぎて 幾夜か寝つる

 

わたしは歌を詠んだ・・・しかし・・・涙があふれ出てきた・・・

この後が続かなかった・・・

 

周りを取り巻いている従者らは何も言わずに黙っていた。

その時、火の番をしていた、身分の低い老人が、続けて下の句を詠んだのだ。

 

  かがなべて 夜には九夜 日には十日を

 

わたしははっとして顔を上げ、その老人のほうを振り向いた。

老人はやさしい笑顔でわたしに語り掛ける。

 

ヤマトタケルさま、そうとお辛いことがあったようでございますね。お察しいたします。

しかし暗い夜が9日過ぎれば、10日目にはアマテラス大御神が照らす昼が来るのでございますよ」

 

・・・わたしは涙が止まらなかった・・・

 

皆黙っている中で、機知にとんだ下の句を返した老人・・・

 

わたしはその老人をほめたたえ、改めて東国の国造に任命したのだった。

 

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ヤマトタケルの自伝 目次

 

 

 

酒折

 

 

この物語から、山梨県甲府市酒折宮は「連歌発祥の地」とされています。

 

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