野見宿祢の自伝 15
それまで一言の言葉も話さなかったホムチワケさまは、空を飛ぶ白鳥を見て「ああ・・ああ・・」と仰せになった。
これを聞いた陛下は、大変な喜びようだった。
「おい、ノミ!聞いたか!ホムチワケがしゃべったぞ!」
「はい、確かに・・・」
「ホムチワケはあの白鳥を見てしゃべったんだ!!あの白鳥をとらえてホムチワケに見せれば、もっといろいろ言葉を話すようになるかもしれん・・・
ノミ!オオタカに命じて、あの白鳥を負わせるんだ!急げ!!」
「は!」
わたしは急ぎ、オオタカに陛下のご命令をつたえるために走った。オオタカは足が速く、鳥を生け捕りにすることにかけては何物にもかなわない名手である。
陛下の命を受けたオオタカは、すぐに白鳥を捕まえるために宮殿を飛び出ていった。
数日の後、オオタカはその白鳥を生け捕りにして帰ってきた。
聞けば、オオタカはその白鳥を追って、紀伊の国から播磨の国へ、さらに因幡まで追っていき、そこから丹波に戻ったかと思うと、但馬へと飛び、さらに東へと追っていき近江まで至ったそうだ。
さらにオオタカは逃げる白鳥を追って、美濃を越え、尾張から信濃へ、そして越(こし)の国に至り、和那美の水門(わなみのみなと)でようやく網を張って捕まえたという。
陛下は喜んで、その白鳥をホムチワケさまにお見せになった。
しかし・・・
・・・その白鳥をホムチワケが見ても、言葉を発することはなかったのである。
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☆白鳥は飛んで行く
オオタカに追われた白鳥は、紀伊(和歌山)→播磨(兵庫県南西部)→因幡(鳥取)→丹波(京都府中部・兵庫県北東部)→但馬(兵庫県北部)→近江(滋賀)→美濃(岐阜)→尾張(愛知)→信濃(長野)→越(後に越前・越中・越後に分割、福井・富山・新潟)と飛んで行って、最後は和那美の水門(わなみのみなと)でオオタカに捕らえられました。
オオタカはよくもあきらめず根気よく追っていったものです・・・というか、オオタカってスーパーマンかよ・・・
白鳥もよくこんな飛んで逃げるだけの体力があったなあ・・・
白鳥をとらえた「和那美の水門」とは新潟県長岡市川口和南津と云われます。
☆日本書紀では
古事記では苦労して越の国まで行って捕らえた白鳥を見ても言葉を話さなかったホムチワケですが、日本書紀では白鳥を出雲の国で捕らえ、これを見せるとホムチワケは言葉を話すようになり、ここでホムチワケの話は終わります。
出雲市斐川町求院の求院八幡宮(ぐいはちまんぐう)が白鳥をとらえた地だと伝わります。求院(ぐい)という地名は、白鳥の古語「鵠」(くぐい)がなまったものと云われます。
また、日本書紀には、「白鳥をとらえた地はあるいは但馬ともいわれている」という付記が付いています。
その地は兵庫県養父市の和奈美神社とも、豊岡市の久久比神社とも云われています。
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