野見宿祢の自伝 22
ホムチワケさまも言葉をしゃべれるようになり宮中が落ち着いてから、数年がたったある日のことである。
わたしは陛下に呼ばれ、御前に進み出た。すると陛下は
「先帝の崇神天皇は賢く聡明な聖帝であった。とても慎み深く、良き政治を行い真摯に祭祀を行った。このため人民は栄え、国は豊かになった。
今、我が御代においても、天神地祇をしっかりお祀りしなければならない」
と、仰せになった。
そのうえで
「実は、アマテラス大御神をお祀りしなければならないのだ。今日、朝廷付きの神官から連絡があった。急ぎアマテラス大御神の御霊を鎮めなければ、またこの日本に災厄が降りかかるだろうと、占いに出ているというのだ。
そこで、アマテラス大御神の祭祀をトヨスキイリビメから、余の娘のヤマトヒメに交代させようと思う。
そのうえでヤマトヒメにはアマテラス大御神の御魂とともにその御魂が鎮座できる地を探し求めさせようと思うのだ。
ノミ、そのように取り計らってくれ」
「はい、かしこまりました」
わたしは一礼して御前を下がった。
元々アマテラス大御神の御魂は、宮中で祀られていた。しかし先帝である崇神天皇の御代、疫病が流行り、オオモノヌシの大神を祀ることによって疫病は鎮まったことがあった。
この時、アマテラス大御神とオオモノヌシの大神のそれぞれの勢いが干渉することを恐れて、アマテラス大御神の御魂は崇神天皇の内親王であるトヨスキイリヒメさまに託され、大和の笠縫村(かさぬいのむら)に遷されていたのである。
さっそくわたしは各方面に手配し、陛下の内親王であるヤマトヒメさまにアマテラス大御神の祭祀は託された。
ヤマトヒメさまはアマテラス大御神の御魂とともに、その御魂が鎮まるところを探し求めて旅に出ることになったのである。
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☆笠縫村
伊勢神宮の創始にかかわる話ですが、この物語は日本書紀にのみ載っています。古事記ではトヨスキイリヒメとヤマトヒメのそれぞれの系譜の中で「伊勢の大神を拝み祭った」と注釈として書かれているだけです。
日本書記では崇神天皇の御代にアマテラスを「トヨスキイリビメに託して倭(やまと)の笠縫邑(かさぬいむら)に祭った」と記載されています。
笠縫邑の比定地は奈良県桜井市の檜原神社(大神神社摂社)のほか、大和地方の各地に存在しています。
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