山幸彦の自伝 18
わたしは高千穂宮を出て、海神の宮殿から帰ってきたときに上陸した海岸に新たに宮を建て、そこに拠点を移すことにした。
その頃の施政者にとって、新田開発は重要な課題だった。田が広がり米が多く取れれば、それだけ国力も強くなり支配力も高まる。
その年、兄ホデリは高台に田を開墾していた。それを見たわたしは、その年、低湿地に田を開墾した。
その年は雨が少なく、日照り続きだった。高台にある田は水はけがよく農作業は楽だが、雨が降らなければたちまちのうちに水不足となる。ホデリの田は乾き、ひび割れ、その年は全く米がとれなかった。
一方低湿地に作ったわたしの田では、水を得るのが容易かったためにたくさんの米がとれた。
翌年、ホデリはこれに懲りたのか、今度は低湿地に田を開墾していた。それを見たわたしは、高台に田を開墾したのだ。
その年は前年とは打って変わって、長雨続きだった。水はけが悪い低湿地に作られた田では、たちまちのうちに稲は水没してしまった。稲は腐り、育たずに枯れていった。
一方、高台に開いた私の田では、この雨のおかげで大豊作となったのだ。
なにもかも、海神の言ったとおりだ。
こうして、年を得るごとにわたしは豊かになっていった。逆にホデリは貧しくなり、没落していった。
ホデリの怒りはわたしに向けられた・・・そしてある日、ホデリは高千穂宮の軍勢を率いて、わたしの宮に攻撃を仕掛けてきたのである!
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