山幸彦の自伝 22
兄ホデリが去っていったあと、わたしは高千穂宮に戻っていた。
高千穂宮に戻ってしばらくしてからのことだった。わたしが執務を取っていると、従者が入ってきた。
「ホオリさま、若い女性の方が面会を求めておられます」
「ん?若い女性・・・誰だろう」
わたしはそのものを通させた。その瞬間、わたしは叫んでいた。
「おお!トヨタマ!」
そう、入ってきたのは、海神の宮殿に残してきた、后のトヨタマヒメだったのだ。
「ホオリさま、会いとうございました!」
トヨタマヒメは喜びあふれる表情でわたしに語りかける。
「トヨタマ!それはわたしも同じだ!いや、もっと早く迎えに行きたいとは思っていたが、兄上といろいろごたごたがあってな」
「例の釣り針のことですね・・・それくらいのことは承知しております。それよりホオリさま、今日はご報告したいことがございます」
「ん・・・なんだ?」
「実は・・・わたくし、ホオリさまの子を宿しております。天の御子を海で生むわけにはいかないと思い、こちらのほうに参り来た次第でございます」
「なに?!本当か!わたしに子が・・・でかしたぞ、トヨタマ!」
わたしは感極まって、従者たちの見ている前でトヨタマヒメを抱きしめてしまったのだ。
パチパチパチ~~
その様子を見ていた従者たちも、拍手で祝福してくれていた。
「それで、ホオリさま・・・わたしは海神の娘でございますので、海のそばに産屋を建てていただきたいのでございます」
「そうか!よし、さっそく取り掛かろう!」
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☆産屋
日本では古代、住居とは別に出産のための建物「産屋」(うぶや)を別棟として建てる風習がありました。日本だけでなく環太平洋諸国などでもみられる風習です。
出産は血を伴う=「不浄」「ケガレ」と考えられたため、母屋と隔離したものと考えられています。
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