古事記の話

古事記を小説風に書き直してみました

サルタビコが帰る

 オモイカネの自伝 29

 

f:id:karibatakurou:20210519101110j:plain

 

ニニギさまは、高千穂の宮で日本の統治に乗り出しました。

 

そうこうしているうち、ニニギさまをくしふる嶽まで導いてきたサルタビコが故郷に帰ることになりました。サルタビコの故郷は伊勢の国だそうです。

 

ニニギさまはウズメを呼び出してお命じになりました。

「ウズメ、サルタビコを伊勢まで護って送り届けてくれ。この任にはサルタビコの正体を明らかにしたそなたが適任だ。引き受けてくれるな」

 

「はい、承知仕りました。間違いなくサルタビコ殿を伊勢までお送り申し上げます。」

 

「うむ。頼むぞ。それからサルタビコの名は、そなたが受け継ぐがよい」

 

「かしこまりました。サルタビコの名に恥じぬよう、精進してまいります」

 

わたくしはニニギさまのそばに控えておりましたが、ニニギさまの堂々とした姿、統治者しての威厳が感じられ、頼もしく思いました。サルタビコの容貌におびえていた昔がうそのようでした。

こうしてウズメに護られ、サルタビコは伊勢に帰っていきました。

 

しかしその後、悲しい報が入りました。

サルタビコが伊勢の阿耶詞(あざか)で海に潜って漁をしているとき、大きな貝に手を挟まれて、溺れて亡くなったそうなのです。伊勢の海からはサルタビコの御魂が三つの泡となって昇っていったということでございます。

 

この報を聞いたニニギさまはいたく悲しまれました。そして宮中みなで喪に臥したのでございました。

しかし、サルタビコは亡くなりましたが、その名はウズメの子孫が代々引き継いでいくことでありましょう。   

 

  

前<<<  宮を造営する - 古事記の話 (hatenablog.com)
次>>>  ナマコの災難 - 古事記の話 (hatenablog.com)

 

オモイカネの自伝 目次

 

 

☆猿女君

 

こうしてウズメの子孫は代々、猿女君(さるめのきみ)を名乗ることになりました。「このような経緯で、伊勢の国から朝廷に海産物の献上品があった時は、まず猿女君に下賜される」と古事記には記述されています。

 

猿女君のなかで大和国に本拠地を置いた一族は稗田氏を名乗りました。古事記編纂にかかわった稗田阿礼もウズメの子孫です。

 

karibaryokouki.hatenablog.com

 

☆阿射加神社

 

サルタビコが海におぼれたという阿耶詞(あざか)。泡の中から三つのサルタビコの御魂が現れたそうです。

今の三重県松阪市の小阿坂町・大阿坂町とされており、サルタビコを祀る阿射加神社が建立されています。

 

wikipedia 阿射加神社

 

二見興玉神社

 

三重県伊勢市にあるサルタビコを祀る神社で、サルタビコの化身とされる興玉玉石をご神体としています。

後に垂仁天皇の御代、ヤマトヒメがアマテラスの御魂を奉じてこの地に来た際、興玉大神の導きで五十鈴の川上に鎮座されたと伝わっています。

 

二見興玉神社


≪リンク≫
 
小説古事記

古事記ゆかりの地を訪ねて
カリバ旅行記
温泉の話
駅弁の話
鉄道唱歌の話