オモイカネの自伝 32
その翌日、コノハナサクヤヒメとイワナガヒメがニニギさまのもとに輿入れする日です。
その日、わたくしはニニギさまのそばから離れておりました。
付近の豪族の会合によばれ、ニニギさまの名代として赴いていたのです。その夜は豪族たちの宴席に招かれ、ニニギさまの滞在する仮宮に戻ったのは翌朝のことでございました。
仮宮に戻りますと・・・
そこにいたのはニニギさまとコノハナサクヤヒメさまだけ。
イワナガヒメさまの姿が見当たりません。どうしたのでしょうか・・・
「ニニギさま、イワナガヒメさまはどうされたのですか?」
わたくしがニニギさまに訪ねると、思いもよらぬ答えが返ってきました。
「ああ、イワナガヒメか。あの女、とんでもない醜女でな・・・あの顔、まるで龍かと思うようなひどさだったよ。それで、オオヤマツミのもとに帰したんだ」
「ええっ!なんですって・・・!」
わたくしは絶句しました。
そう、ニニギさまは、なぜオオヤマツミの大神がイワナガヒメとコノハナサクヤヒメの二人をそろえて后として差し出したのか、その意味をご存じなかったのです。
あのとき、きちんと伝えていればよかった・・・
オオヤマツミの大神は、天の御子の命が、雪が降ろうと風が吹こうと岩のごとく永遠に続くようにとの願いを込めてイワナガヒメを、天の御子の御代が木の花の栄えるように繁栄するようにと願いを込めてコノハナサクヤヒメを送り出したのです。
しかし、ニニギさまは、イワナガヒメはお返しになり、コノハナサクヤヒメだけをとどめ置かれました。
これはすなわち・・・天の御子のお命は、木の花のように短い限られた命となったことを意味します。
オオヤマツミの神呪は、天の御子たちにとって子孫代々続くことでしょう。
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これ以来、皇室の方々は天つ神の子孫でありながら、短い限られた命となりました。
この神呪をかけたオオヤマツミは山の神ですが、古事記には何かしたという事績の記述はありません。しかしなかなか抜け目のない神様で、子や孫をいろんな神様に嫁がせています。
スサノオの嫁となったクシナダヒメもオオヤマツミの孫になります。スサノオはまた、オオヤマツミの娘であるカムオオイチヒメを迎えてオオトシとウカノミタマを産んでいます。
オオトシ(大年神)は子のミトシ(御年神)とともに穀物の神とされています。奈良県御所市の葛城御年神社に両神は祀られており、全国の御年神社・大歳神社の総本社とされています。
また、ウカノミタマ(宇迦之御魂神)も穀物神であり、滋賀県守山市の小津神社のほか、稲荷神として全国3万社ある稲荷神社で祀られています。
稲荷神社は京都の伏見稲荷大社が総本社です。
☆銀鏡神社
二ニギに拒絶されたイワナガヒメ。改めて鏡を見ると、そこには龍のような醜い自分の顔が映っていました。嘆き悲しんだイワナガヒメはその鏡を投げました。鏡は龍房山の木に引っ掛かり、あたりを白く照らしました。
この鏡をご神体として祀るのが宮崎県西都市の銀鏡神社(しろみじんじゃ)です。(ただしこの話は記紀には載っておらず、地元に伝わる伝承のようです)
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