オモイカネの自伝 28
サルタビコを先導に、ニニギさまの一行は高天原を発ちました。八重にたなびく雲をかき分け、天浮橋(あめのうきはし)をつたって地上の日本に向かっていきます。
途中、天の浮橋で立ち止まりました。
後ろを振り返ると、雲にかすんではるかな先に、高天原がかすんでいます。
前を見ると、これも雲にかすんではるかな先に、高千穂の青々とした木々に覆われた峰々がかすんでいます。
ニニギさまは、まっすぐ立って、これから行く先の、高千穂のくしふる嶽を見つめています。
ふいにニニギさまが仰せになりました。
「オモイカネ、ありがとう」
「は?なんでございましょう」
「サルタビコと対峙した時、わたしはおびえて何もできなかった。そなたが後ろを押してくれなければ、わたしはいつまでも臆病者のままで、とても日本の統治者とはなれなかっただろう。
こうやっていま、天浮島に立ってくしふる嶽を目指しているのもそなたのおかげだ」
「いえ、ニニギさまが勇気をお持ちになったからですよ。大したことはしておりません。
ニニギさま、日本の統治者として、しっかりやってくださいませ」
わたしはニニギさまのこのお言葉に、うれしく、また頼もしく思ったのでございます。
ニニギさまは天浮島を発って、再び八重にたなびく雲をかき分けていきました。
そして、ニニギさま高千穂ののくしふる嶽に、その一歩を踏み入れたのでございます。
ニニギさまに続いて、われわれ随伴の神々もくしふる嶽に降り立ちました。
しかしここからは、ニニギさまにとっても我々にとっても未知の地であります。
ここからはオシヒとクメの護衛のもと進むことにしました。二人は武神としての名が高く、ニニギさまの軍隊を束ねている、信頼のおける神であります。
二神は石のように固い矢入れを背負い、大刀を構え、弓を持ち、矢を脇の下にはさんで、先頭に立ってニニギさまをお護りしながら進んでいきました。
そしてくしふる嶽を降りて、開けた地に出てきました。
そこで、ニニギさまが、宣言されました。
「ここは海外の国にも通じ、笠沙の岬から日本の国々が見渡せる。朝日が差し、夕日が照らす、とても良い地だ。
ここに宮を営み、オオクニヌシが築いた日本の国を発展させていこうぞ!!」
そこには臆病なニニギさまの面影はなく、王者としての威厳にあふれていました。
「ニニギさま、万歳!!」
そこにわれわれは宮を造営し、ニニギさまは日本の統治に乗り出したのでございました。
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☆天孫降臨
ニニギはアマテラスの孫、すなわち「天孫」です。天孫ニニギが高千穂に降りてきたことを「天孫降臨」と読んでいます。
その伝承地として伝えられている場所は主として日向国に2か所あります。
一つは宮崎県北部の高千穂町の槵觸峯(くしふるのみね)です。もう一つは宮崎県と鹿児島県の県境付近、霧島連山の高千穂峰です。
☆高千穂宮
古事記ではニニギが高千穂宮を造営します。その4代目の神武天皇も東征前は高千穂宮にいたようなので、おそらくその後ずっと子孫も高千穂宮にいたのでしょう。
一方、日本書紀には明確に「宮」としての記述はありません。降臨後「吾田長屋笠狭之碕」(あたのながやのかささのみさき)に至り、そこで出会った国つ神の助言でそこにとどまった、ということになっているので、そこに宮を営んだのでしょう。今の鹿児島県南さつま市笠沙町とされています。
また、鹿児島県隼人市の鹿児島神宮はニニギの子ホオリが「高千穂宮」と定めた地なのだそうです。
≪リンク≫
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