オモイカネの自伝 16
こうしてわたくしの考えた筋書き通りに事は運び、アマテラス大御神は天岩屋からお出でになり、世の中には光が戻りました。
しかしこうなったのも、スサノオの大神の悪行が過ぎたからであります。このままにしておくわけにはいきません。
スサノオの大神は、タヂカラオをはじめとする高天原の屈強な男神により捕らえられ、神殿の一室に監禁されました。
スサノオの大神の処分は、わたくしに一任されることになりました。
わたくしはスサノオの大神の持つすべての財物を出させ、それをアマテラス大御神の祭壇に備えさせました。
また、髪の毛を切り、髭を切り、爪までも短く切りました。これらの一連の行為は、このころの男神にとっては死よりも屈辱的なことでありました。
そして、スサノオの大神を身体一つで高天原から地上の日本に追放したのでありました。
こうして、高天原には元の静けさを取り戻したのでございました。
そんな、ある日のこと・・・
地上の日本から、一人の神が昇ってきてアマテラス大御神へのお目通りを求めました。その神は、スサノオの大神の遣いでありました。
わたくしはアマテラス大御神に取り次いで、その神をアマテラス大御神の御前にお連れいたしました。
その神は、アマテラス大御神の前に膝まづくと、一振りの立派な大刀を取り出して捧げ持ちました。
「アマテラスさま、この大刀は、スサノオ様からの献上品でございます」
と、その神は申されました。
「スサノオから、これをわたしに・・・これは、立派な大刀ですね・・・いや、ただ立派なだけでなく、この大刀からはとてつもない霊力を感じます。
スサノオは、どうやってこの大刀を手に入れるのですか?」
と アマテラス大御神は仰せになります。
その神が言うには・・
スサノオの大神は、日本に降りた後、人々を苦しめていた八俣のおろちを退治したそうです。その八俣のおろちを斬った時、尾から出てきたのがこの大刀ということでした。
スサノオの大神は、八俣のおろちに食われるところを救った娘を嫁に迎え入れました。そして今では出雲の人々にしたわれて、立派な神となっているそうです。
「そうですか・・・あのスサノオが・・・心を入れ替えて、がんばってるんですね・・・ご苦労様でした」
アマテラス大御神は安心したように仰せになりました。
さんざん悪行の限りを尽くした弟君でしたが、その原因は甘やかした自分にもあったと、心に負い目を感じられていたのでしょう。その穏やかな表情から、心の重荷が取れた様子が見てうかがえました。
こうしてアマテラス大御神とスサノオの大神との一連の騒動も終息したのでありました。
高天原にはそれから数百年の間、穏やかな時間が過ぎていったのでございます。
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☆草薙剣
スサノオが八俣のおろちを退治した時、その尾の中から出てきたいう剣は、草薙剣(くさなぎのつるぎ)と呼ばれます。後に八尺瓊勾玉・八咫鏡(やさかにのまがたま・やたのかがみ)とともに三種の神器として皇室に受け継がれてきました。
第12代景行天皇の御代、ヤマトタケルが敵の策略で野原の真ん中で猛火に囲まれたとき、この剣で草を薙ぎ払って防火帯を作り、難を逃れました。この事件から「草薙剣」の名があります。
もっとも古事記ではおろちの尾の中から出てきたときから「草那藝之大刀」(くさなぎのたち)と呼ばれています。
ヤマトタケルは妻のミヤズヒメに草薙剣を預けました。ヤマトタケルの死後、ミヤズヒメは現在の名古屋市熱田の地に草薙剣を祀りました。
これが現在の熱田神宮です。
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