オモイカネの自伝 24
日本の国はオオクニヌシからアマテラス大御神に譲渡されました。
アマテラス大御神は早速、長男のオシホミミさまを呼び出し、日本の統治者として降臨するようお命じになりました。
するとオシホミミさまは、
「そのお役目、息子のニニギにやらせていただけませんか」
と、辞退されました。
以前、何もせずに戻ってきたことの後ろめたさがあったのでしょうか。あるいはオオクニヌシを中心によくまとまっていた日本の国に、何の準備もなく『日本に降りていけ』などと、無茶なご命令をお出しになっていたアマテラス大御神への反発もあったのかもしれません。
ニニギさまは、オシホミミさまとトヨアキシツヒメの子であります。トヨアキシツヒメはわたくしの妹です。すなわちニニギさまはわたくしの甥になります。
そこで、アマテラス大御神は、ニニギさまを呼び出してお命じになられました。
「日本の国は葦が豊かに茂り、みずみずしい稲穂が永遠に実る良き国です。ニニギ、そなたはこの日本の国に、統治者として降りていきなさい」
まだ年若いニニギさまは、喜びあふれる顔で元気よく
「はい、かしこまりました」
と、お答えになりました。
さて、こうしてアマテラスの孫であるニニギが日本に降りていくことになりました。しかし一国の統治には、人心を把握し、豪族と民のそれぞれの立場を想い図りながら政務を行っていく必要があります。
まだ年若いニニギさまが、果たして日本の統治ができるでしょうか。一抹の不安が残ります。
わたくしは、その懸念をアマテラス大御神に申し上げました。
その結果、ニニギさまを補佐するために、数多くの神が一緒に降臨することになったのでした。
まず、コヤネ・フトダマ・ウズメ・イシコリドメ・タマノオヤ、この5人を「五伴緒」(いつとものお)としてニニギに随伴することに決まりました。いずれもアマテラス大御神が天岩屋に籠られたときに活躍した神々です。
そして、わたくしオモイカネも・・・そう、わたくしにもニニギさまの補佐として、一緒に降臨するようご命令が下ったのです。わたくしは謹んでこのご命令をお受けいたしました。
他にもタヂカラオとイワトワケにも降臨の命が下りました。
そして、アマテラス大御神の神殿には、ニニギさまとわたくしたち随伴の神々がそろいました。
皆の前で、アマテラス大御神はニニギさまに勾玉・鏡・剣をお授けになりました。勾玉と鏡はアマテラスが岩屋に籠ったときの祭祀に使われたものです。また剣はスサノオの大神が八俣のおろちの尾の中から見つけてアマテラス大御神に献上したものです。
アマテラス大御神は、ニニギさまに
「この鏡には、わたしの魂がこもっています。この鏡をわたしだと思って大切に祀りなさい。そうすればいつまでも日本の国は栄えていくでしょう」
と、仰せになりました。
また、わたくしに向かって
「オモイカネ、頼みましたよ。随伴の神々を取り仕切り、ニニギを補佐し、祭祀を取り行ってください」
と、仰せになりました。
わたくしは身の引き締まる思いでした。われわれ随伴の神々は、ニニギさまを補佐し日本の民のために良きまつりごとを行うことを、日の神アマテラス大御神に誓いました。
こうして、日本に降臨する準備が整いました。
その時でした・・・!
次>>> 神が昇ってくる!! - 古事記の話
三種の神器とは冷蔵庫・洗濯機・テレビのことを指し・・・え?このボケ、前にもやったって?・・・
はい、三種の神器とはこの時アマテラスからニニギに託された鏡・勾玉・剣を指します。
そして戦後の昭和30年代、時代は高度経済成長期。皇位の証しである三種の神器になぞらえて、冷蔵庫・洗濯機・白黒テレビの三つの電化製品を「三種の神器」と称するようになりました。この「三種の神器」は、復興を遂げた戦後日本の豊かさの「証し」となりました。
昭和40年代になると、三種の神器に変わり「3C」、つまりクーラー(Cooler)、カラーテレビ(Color terevision)、自家用車(Car)が豊かさの証しとなりました。
で、今のぼくの生活を考えると、冷蔵庫と洗濯機、それにクーラーが発展したエアコンは必需品です。
でもテレビは全く見なくなりましたし、クルマ(自家用車)は処分して持っていません。一方、パソコンとスマホは手放せなくなりました。
皇室の「三種の神器」は不変ですが、一般庶民のそれは時代とともに移り変わっていきます。
≪リンク≫
小説古事記
古事記ゆかりの地を訪ねて
カリバ旅行記
温泉の話
駅弁の話
鉄道唱歌の話