ヤマトタケルの自伝 13
わたしは叔母のヤマトヒメを目の前にして、泣き崩れてしまった・・・
「ちょっと、ヤマトタケル!どうしたの?」
「ああ、叔母上・・・父の天皇は、わたしが死ねばいいと考えているのでしょうか・・・」
「え・・・ヤマトタケル、どうしたの?何があったの?」
「わたしは父の命により、西国の朝廷に服していない者どもを平定して帰ってまいりました。しかしそれからまだ時もたっていないというのに、今度は東国の平定をしろと命を受けました・・それも軍勢もつけずに・・・
・・ああ、やっぱり父の天皇は、わたしに死ねと思っているに違いない・・・」
わたしはヤマトヒメの前でいつまでも泣いていた。ヤマトヒメは何も言わず、わたしをやさしい目で見つめていた。
どれくらい、泣いただろうか・・・
「それでは伯母上・・・行ってまいります・・・」
そういって立ち上がった時だった。
「ヤマトタケル、ちょっとお待ちなさい・・・これを持っていきなさい」
そういうと、ヤマトヒメは一振りの剣を取り出し、わたしに手渡した。
それをみて、わたしは驚愕した!
「伯母上・・・この剣は・・・まさか・・・草薙剣(くさなぎのたち)!!」
そう、それは草薙剣・・・はるか神代の昔、スサノオの大神が八俣のおろちの尾の中から取り出してアマテラス大御神に献上し、日向に降臨した天孫二ニギに託され、その後は代々の皇室に受け継がれてきた、皇位の証である。
「・・・伯母上・・・こんな、大事なものを・・・」
「いいのよ、持っていきなさい。それから・・・」
ヤマトヒメは小さな小袋をわたしに手渡した。
「もし、あなたに危険が差し迫ったときは、この袋を開きなさい。その時、あなたが必要なものが入っているわ」
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☆倭建命と日本武尊
どちらも「ヤマトタケルのみこと」ですが、倭建命は古事記、日本武尊は日本書紀での表記です。漢字だけでなく、この両者はキャラクターもだいぶ異なっています。
古事記の倭建命は熊襲征伐から帰って父の天皇に嫌われていることに気づき、叔母のヤマトヒメの前で自分の気持ちを吐露して泣く。なんとも人間臭い描かれ方をしています。
一方で日本書紀の日本武尊は、天皇に対して自ら志願し東国に出征します。
その途上、ヤマトヒメのところに行った日本武尊は、ヤマトヒメに
「天皇の命を受けて東国の賊を成敗してきます。なのでご挨拶に参りました」
と勇ましく言い、これに対してヤマトヒメは草薙剣を渡して
「気を引き締めよ!油断するな!」
と激励します。
そこに描かれているのは完全無欠の英湯としての日本武尊であり、古事記と日本書紀の性格の違いがよく表れています。
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