これも仁徳天皇の晩年のことである。
兎寸川(とのきがわ)の西岸に一本の高い木が生えていた。その木の影は、朝日が当たれば淡路島まで届き、夕日が当たれば高安山を越えたという。
この木を切って船を建造した。その船は俊足でとても性能が良い船であった。この船は「枯野(からの)」と名付けられた。
枯野号はその俊足を生かし、淡路島に湧き出る清水を毎日、宮中に献上していた。
しかしある時、枯野号は破損し、船としては使えなくなってしまった。
そこで解体して船体の木材を釜にくべて、海水を煮出して塩を作った。残った木材は加工し琴が造られた。
塩と琴は宮中に献上された。
「あの淡路の水を運んできた、枯野の木で塩を焼き、琴を作ったわけか・・」
天皇は琴を弾いてみた。美しい音色が流れてきた。
「ああ、まるで枯野号が入っていく淡路の由良港で、海藻がさわさわなっているようだ・・」
天皇はつぶやく。
枯野号の木材で作った琴の音は、七里離れていても響いて聞こえたという。
それからほどなくして天皇は崩御された。御陵は毛受の耳原(もずのみみはら)に造営された。
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☆兎寸川
今のどこかは定かではありません。
調べてみると大阪府高石市の「等乃伎神社」や、岸和田市の「楠本神社」などに伝承があるようです。
日本最大の古墳かつ世界最大の墳墓です。令和元年7月、世界文化遺産に登録されました。
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