第16代仁徳天皇ことオオサザキ。
即位後、大和から難波の高津の宮に遷都した。
祖母の神功皇后が新羅・百済を日本の勢力下におさめ、父の応神天皇は両国から大陸の文化を取り入れていた。祖母・父の外交政策を受け継いで日本を発展させるには、港に近い難波のほうが都合がいいと考えたのだろう。
天皇は海外から技術者を招き、治水灌漑事業に力を入れていた。
そんなある日のこと、天皇は巡行に出ていた。そして高い山に登っていた。そこからは広い平野が一望できる。
眼下には豊かに実った田や畑が広がり、人々が暮らす村々も見える。
と、その時、天皇はあることに気が付いた。ちょうど食事の支度の時間だというのに、村からは全く炊事の煙が立っていないのである。
「村から一筋の煙も立っていないというのはどういうことだろう。民は食事の支度もできないほど窮乏しているのか」
重臣はかしこまって答えた。
「はい、今年は害虫が発生し、また稲の病気がはやり、収穫量は激減しております。実は・・その前の年も日照りが続き、収穫は芳しくありませんでした。二年続きの不作に、民の食糧が不足しているのは事実でございます」
「うーん、そうか・・それはいかんな・・」
天皇は何か考え込んでいる様子だった。
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☆高津宮
仁徳天皇が宮を置いた高津宮の跡に、西暦866年清和天皇の勅命により創建されました。その後豊臣秀吉の大阪城築城に伴い、現在地に移転しています。
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