ヤマトタケルは甲斐の国まで来ており、 そこの酒折宮に滞在していた。
その夜、ヤマトタケルはじっとたき火の日を見つめていた。暗闇の中、燃え上がる火を見ながら、ヤマトタケルの胸によぎるものは何だっただろう・・・
自分が滅ぼしたクマソタケルにイズモタケル・・・
そもそも自分は彼らには何の恨みもない・・・そんな彼らを殺してしまった自分は
・・・
自分のため、海に身を投じたオトタチバナヒメ、
尾張で待ってくれているミヤズヒメ、
その他数々の妻たち・・・
母のように慕っている叔母のヤマトヒメ・・・
彼女たちに報いることを自分はしてきたのだろうか・・・
そして父、天皇・・・天皇の命令で自分は日本各地の敵を成敗してきたのだが・・・天皇が自分を遠ざけているのは明らかなのだ・・・
・・・結局、何のための征伐だったのだろう・・・
そしてゆらめく火を見ながら、ヤマトタケルはつぶやいた
「ああ・・・新治、筑波を過ぎて・・・幾夜か寝たことであろうか・・・」
ヤマトタケルについてきた従者たちは、みな黙って何も言わなかった。
その時、火の番をしていた、身分の低い老人が答えていった。
「日数数えて、辛い夜は九夜、しかし光が差す明るい昼は十日でございます」
ヤマトタケルはその答えにはっと顔をあげた。
「・・・」
ヤマトタケルに向かって、老人は言う
「ヤマトタケル様・・・さぞかしお辛いことが続いたご様子ですね・・・お察しいたします。しかし辛い夜が明ければ、アマテラス大御神が照らす昼が来るのですよ」
ヤマトタケルの頬に、一筋の涙が流れる。
従者たちが何も答え無い中、機知にとんだ答えを返した老人。
ヤマトタケルはその老人をほめたたえ、東国の国造(くにのみやつこ)に任命した。
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☆酒折宮
この話も古事記では、ヤマトタケルと老人は歌でやり取りをしています。ヤマトタケルが「新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる」と上の句を詠んだのに続けて、老人が「かがなべて 夜には九夜 日には十日を」と下の句を詠んだことから、酒折宮は連歌発祥の地とされています。
≪リンク≫
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古事記ゆかりの地を訪ねて