こうしてオオビコは、タケハニヤスの平定が終わると、最初に命じられていた通り越の国に赴いた。
一方で、オオビコの息子のタケヌナカワが指揮する軍が、大和から東のほうへと進軍していた。
そして父のオオビコの軍と、息子のタケヌナカワの軍は、東国の地で再び会うこととなった。両軍が落ち合った地は、後に相津(あいづ)といわれるようになる。
オオビコとタケヌナカワは、こうして命じられた国々の平定が終わると、都に帰還していった。
天皇は税制を整え、灌漑用の池を造成していった。
天皇の治世、天下は安定し、民は富み栄えた。
天皇の功績を称えて後年「ハツクニシラスミマキノスメラビコト」(初国知らす御真木天皇)と呼ばれるようになった。
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☆相津(あいづ)
再会した父のオオビコと子のタケヌナカワは、イザナギとイザナミを祀り国家鎮護を祈願しました。現在の福島県大沼郡会津美里町の伊佐須美神社の始まりとされています。