オオビコの自伝 1
わたしの名はオオビコ。天皇(すめらみこと)に仕える軍人である。
我が主君である今上天皇陛下の御名はミマキイリヒコという。皇室初代である神武天皇から数えて10代目の天皇である。
わたしの父は皇室8代目の孝元天皇である。わたしは孝元天皇の子として、3人兄弟の長男として生まれた。
そのため順当にいけばわたしが皇位をつぐ身であるが、わたしは国政に携わるより武門の道を選び、軍人となった。そして皇位を継いだのは末弟であった。それが皇室9代目の開化天皇である。
そして、開化天皇の子が、今わたしが仕えている、第10代目となる今上天皇陛下(崇神天皇)である。
すなわちわたしが仕える天皇陛下は、わたしの甥となる。
陛下はまだ国家の仕組みが不十分なこの日本において、税制を整え、灌漑用の池を造成していった。また周辺のまだ服していない部族のもとに軍を送り、朝廷のもとに従えていった。
陛下の御代、天下は安定し民は富み栄えていた。市井の民は、その功績をたたえて陛下のことを「初国知らす御真木天皇」(はつくにしらすみまきのすめらみこと)と呼んでいる。
しかし、これまでには様々な紆余曲折があった。陛下のご威光をもってしても日本の治世が簡単に進んだわけではなかったのだ。
時にはその統治をめぐり思い悩むお姿を、わたしは陛下の側近として何度も見てきているのである。
陛下の功績を世に伝えるためにも、わたしは主君である天皇陛下のご様子をありのままに書き記しておきたいと思う。
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☆崇神天皇
本日より第10代崇神天皇に仕えたオオビコの一人称で、古事記に描かれた崇神天皇の事績を書いていきたいと思います。よろしくお願いいたします。
初代神武天皇に続く8代の天皇(第二代綏靖天皇~第九代開化天皇)は古事記・日本書記ともに宮・系譜・陵墓などが簡単に記載されているだけで「欠史八代」とも呼ばれ、神武天皇も含めて実在しないとされています(実在説もあります)。
崇神天皇は師木水垣宮(しきのみずがきのみや)において日本を統治しました。現在の奈良県桜井市の志貴御縣坐神社(しきみあがたにますじんじゃ)とされています。
また、陵墓は奈良県天理市の山辺道勾岡上陵(やまのべのみちのまがりのおかのうえのみささぎ)とされています。
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