天皇の異母兄タケハニヤスを征伐すべく、オオビコの軍は山代に向かっていた。
タケハニヤスも軍勢を整えて、今まさに宮中に攻め込もうとしている時だった。両軍は和訶羅川(わからがわ)ではちあわすことになった。
タケハニヤスの軍とオオビコの軍は、川を挟んで挑みあった。その地は後に伊杼美(いどみ)と言われるようになり、今は伊豆美(いずみ)という。
最初にオオビコの軍の副官ヒコクニブクが言った
「まずはそちらから矢を射て見よ!」
そこでタケハニヤスは矢を射ったが、オオビコの軍には当たらなかった。
次にヒコクニブクが矢を射った。するとその矢はタケハニヤスに当たり、そのまま死んでしまった。
司令官が射殺されてしまったので、タケハニヤスの軍は総崩れになり逃げだした。オオビコの軍は逃げる軍を追い詰める。逃げる軍勢を追いかけ、追い詰めたとき、タケハニヤスの兵士たちは苦しさのあまり脱糞し、袴は糞だらけになった。このためその地は糞袴(くそばかま)と呼ばれるようになった。今は久須婆(くすば)という。
逃げるタケハニヤス軍の行く手を阻み、オオビコの軍は一斉に切りかかった。その死体は鵜のように川に浮いた。その川は鵜河と呼ばれるようになった。
その死体を放り捨てた場所は波布理曽能(ホオリソノ)という。
こうしてタケハニヤスを征伐し、都に戻っていった。
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古事記中巻 神武天皇~応神天皇 目次
☆和訶羅川(わからがわ)・伊豆美(いずみ)
和訶羅川とは現在の淀川支流の木津川で、伊豆美とは現在の京都府木津川市木津付近だと考えられています。
☆久須婆(くすば)
大阪府枚方市に「くずは」という地名が残っており、京阪樟葉駅中心に住宅街やショッピングモールが広がっています。
☆鵜河・波布理曽能(ホオリソノ)
鵜河は現在の淀川・木津川流域のどこかでしょうが、よくわかりません。
波布理曽能は京都府相樂郡精華町に祝園(ほうその)という地名が残っています。