オオビコの自伝 13
タケハニヤスを討ったわたしは、都に戻り、その旨陛下に奏上した。
そして改めて、当初の命令通り北陸道の平定のため、古志の国のほうへ進軍したのだった。
北陸道の平定は順調に進んでいった。
もちろん、反抗的な部族に対しては武力で制圧した。一方でこれまで通りの領地支配と引き換えに平和的に朝廷の傘下に入った部族も多かった。
そしてわが軍は古志の国から内陸のほうに入り進軍していった。そのとき、斥候に出ていた兵士から報告が上がってきた。
「大変です!大軍がこちらのほうに向かってきております!!」
この報告を受けて、一斉にわが軍に緊張が走る。大軍・・・一体どこの軍だろう・・・我々は厳戒態勢を敷いて進軍していった。
やがて、遠くにその軍勢が見えてきた。
「・・・あれは・・・」
兵士たちは口々にささやきあう。その声には不安と戸惑いが入り混じっていた・・・しかし、はじめは張り詰めていた緊張が、少しづつほぐれていくのが感じられた・・
「あれは、皇軍だ!!」
そう、その姿がはっきり見えるにしたがってわかってきた。それは我々と同じ皇軍、味方だったのだ!!
相手も我々に気が付いたのだろう、笑顔で手を振りながらこちらに近づいてくる。
それは、わたしの息子、タケヌナカワが率いる軍だったのだ!
タケヌナカワもわたしと同じく、東海道の平定のため進軍していた。そして東の海沿いに北上し、さらに内陸のほうへ進んできていたのだ。
わが軍と出会ったのは、偶然だった。この広い日本のこと、どちらかの軍がすわずかでも違った進路を取っていたならば、我々は落ちあうことはなく進んでいたことだろう。
我々は神に感謝し、この地に日本の国をお産みになったイザナギとイザナミの神を祀り、国家鎮護を祈願したのだった。
こうして東国を平定し、わが軍と息子のタケヌナカワの軍は合流して大和の都に帰っていった。
こうして第10代の天皇(すめらみこと)である陛下は日本の国を統一させた。その功績はいつまでも日本の民の間で語り続けられることであろう。
ー オオビコの自伝 完 ー
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☆会津
北陸道を進軍してきたオオビコの軍と、東海道を進軍してきた息子のタケヌナカワの軍が落ちあったので、そこを「相津」(あいづ)というようになったと古事記に記載されています。
すなわちこれが福島県の「会津」の地名の起源だとされています。
会津で落ち合った両将軍が国家鎮護を祈ってイザナギとイザナミを祀ったのが、現在の福島県会津美里町の伊佐須美神社です。
☆オオビコの自伝 完結です
お読みいただきありがとうございました。
いったん完結しましたが、引き続き崇神天皇の御代の話を次回から掲載していきます。よろしくお願いいたします。
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