アメノヒボコの自伝 8
わたしは瀬戸内海を西に進んでいった
もう少しで難波だ・・・難波に行けば、妻に会えるかもしれない・・・
わたしは一縷の望みをもって船を進めていた
しかし・・・
難波の津に入ろうとしたとき、急に風が強くなってきた
海は大荒れとなり、難波に入ることができない!
舟はまるで木の葉のように、荒波に翻弄された!
その時、わたしは、心に言いようのない畏怖を感じたのだった・・・
これは、ただの嵐ではない!
神の怒りが引き起こしているのだ・・・ああ、そこまでして日本の神は、わたしを妻に会わせないようにしたいのか・・
船は難波に入ることはできず、流され、翻弄され、ようやく兵庫津に流れ着いた・・・
もはや、わたしには、難波の妻の元まで行く気力はなかった・・・
しかし、戻ろうにも、舟さえも嵐で木っ端みじんとなってしまった
わたしは途方に暮れた・・
ただ、半島に通じる北海(日本海)沿岸まで出れば、新羅に帰る手立ても見つかるかもしれない・・そう考えたわたしは、陸路、北海に面した但馬を目指すことにした
道は険しかった・・何日もかけて山道を越えて、ようやく但馬についた
つらい道のりだった・・・もはや、海を越えて新羅に帰る気力もなかった
考えてみれば、妻を追って国を飛び出したわたしを、新羅の民が王子として迎えてくれるはずもない・・・
わたしは新羅に帰ることはなかった。わたしは但馬で、その地の長老の娘をめとることになったのである。
・・・それから年月が過ぎた・・・
但馬でめとった嫁との間に子宝にも恵まれた。
わたしはこの但馬の地で生涯を終えることになるだろう。
わたしが新羅から持ってきた八種の玉津宝(たまつたから)は、この地に祠を作って納めてある
- アメノヒボコの自伝 完 -
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☆アメノヒボコの子孫
古事記の記述によると、但馬で生まれたアメノヒボコの4代目の子孫が、垂仁天皇の話で出てきた、常世の国から「ときじくのかぐの木の実」を持ち帰ったタジマモリ(多遅摩毛理)です。
また、タジマモリの弟、多遅摩比多詞(たぢまひかた)の子孫は前話の語り手であった神功皇后に連なります。多遅摩比多詞の娘の葛城之高額比売(かつらぎのたかぬかひめ)と第9代開化天皇の子孫の息長宿祢王(おきながすくねのみこ)との間に生まれたのがオキナガタラシヒメ、すなわち神功皇后です。
☆出石神社
出石神社は朝鮮からの渡来人が祖神であるアメノヒボコを祀って創建したと考えられています
アメノヒボコが新羅から持ってきた八種神宝の神霊およびアメノヒボコの神霊を祭神として奉斎しています
アメノヒボコの自伝、完結です。最後までお読みいただきありがとうございました。
次回よりアメノヒボコの娘であるイズシオトメをめぐって争う二人の兄弟の話をご紹介いたします。引き続きよろしくお願いいたします。
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