神功皇后の自伝 5
夫の天皇の遺体は、殯宮(もがりのみや)に移された。そして、わたしは禊のために日本の国中の犯罪を徹底して取り締まるよう、命令を出した。
何しろ日本の国を治める天皇がこんな形で突然死に至ったのである。国中に穢れがまとわりついているといても過言ではない。
命令は日本の各地で実行された。
生きたまま獣の皮をはいだもの、逆さにして獣の川をはいだもの、田を壊したもの、水路を埋めたもの、神域での放糞、近親相姦、獣姦・・
ありとあらゆる罪の取り締まりが行われた。こうやって日本の国の穢れを払ったのである。
そして、それらの一連の儀式が済んだある夜、再び詞志比宮(かしいのみや)の神庭にわたしと重臣の建内宿祢(たけうちのすくね)は来ていた。今後の国の行く末を占うためである。
その夜もまた、詞志比宮の神庭では、大きなかがり火がたかれていた。
わたしはそのかがり火の前に立つと、そっと手を合わせた。のりとを唱え、一心不乱に祈りをおこなう。
・・・そして、その夜もわたしの身体に神が降臨した!それからのことは、またいつものように、わたし自身の記憶には無い・・・
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☆忌宮神社
日本書紀によりますと、人民の動揺を恐れた神功皇后と武内宿祢は仲哀天皇の崩御を公表しませんでした。
武内宿祢は天皇のご遺体を、元の行宮であった豊浦宮に運び、そこに安置したということです
豊浦宮は現在の山口県下関市長府の忌宮神社であり、近くには仲哀天皇の遺体を安置したと伝えられる場所も残っています。
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