神功皇后の自伝 4
夫の天皇が亡くなった・・・わたしが占いをし、神がわたしの身体に降臨している間に・・・
わたしが意識を取り戻し、重臣の建内宿祢(たけうちのすくね)からそれを聞かされた時、驚きとともに言いようのない不安感が襲ってきた・・・
愛する夫の死・・・それだけでもわたしにとっては耐えがたいことだった・・・しかもその夫は、日本の国を治める天皇なのだ!
ああ・・・日本の国はどうなるのだろう・・・
わたしは放心したように座り込んだ・・・涙さえも出なかった・・・何も考えられなかった・・・
その時、建内宿祢がわたしに言った
「オキナガタラシヒメさま・・・心中、お察しいたします。
しかし・・・気を確かに、しっかりされてください。天皇陛下が崩御された今となっては、皇后さまがしっかりしてくださらないと・・・」
・・ああ、そうだった・・・わたしは皇后なのだ・・
・・・夫の天皇が亡くなった以上、わたしがしっかりしなければ・・・
わたしは立ち上がり、居並ぶ近習の者たちの前で宣言した
「これから後、亡き陛下に変わり、わたしが摂政として日本の国を統治します。意義ないですね!」
次の瞬間、近習たちは何も言わず、黙っていた。時が止まったかのようだった。しかしそれは、長くは続かなかった。
近習のひとりが拍手をした。その拍手は次々と伝播し広がり、割れんばかりの拍手が詞志比宮に広がった・・皆、わたしを天皇に代わる日本の支配者として認めてくれたのだ!
わたしは、側にに控えていた建内宿祢に命じた
「すぐに殯宮(もがりのみや)を造り、天皇の遺体を安置しなさい。その後、国の穢れを払うために、徹底して日本中の犯罪を取り締まるよう手配してください」
「は、かしこまりました!」
建内宿祢は、神妙な面持ちで答えたのだった。
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☆建内宿祢
≪香椎宮の建内宿祢像≫
建内宿祢(たけうちのすくね)は300年以上の生涯の間、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代にわたり天皇に仕えたという重臣です。勿論伝説上の存在であり、信憑性はありませんが。
「建内宿祢」というのは古事記での表記であり、日本書紀では「武内宿祢」と表記されています。拙ブログでは古事記の表記に従っています。
現在では佐賀県武雄市の武雄神社、鳥取県鳥取市の宇倍神社など日本各地で祀られています
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