神武天皇の自伝 6
岡田宮を出港した艦隊は、瀬戸内海を西へ西へと進んでいく。
そして安芸の国に入った。補給のため、我々は安芸の国に上陸した。
そこは深い森だった・・・既に一日も終わろうとしていて日も暮れかけ、あたりは薄暗くなっている。
薄暗い中、森の中で我々が今夜を過ごす陣を張ろうとしていた時だった。ふとわたしの前に人影が現れた。
いきなり現れたその人影に向かってわたしは思わず訪ねた「そなたは誰だ?!」
すると、その人影が答えた。
「わたくしはこの地を支配するアキツヒコでございます。天の御子が日向からお出ましになると聞き、お迎えに上がりました。
どうぞ、仮宮を用意してございます。お越しくださいませ」
こうしてわたしと兄イツセは、アキツヒコが用意してくれた多祁理宮(たけりのみや)に入ったのだった。
翌日、イツセとわたしは、アキツヒコの案内で近くの山に登っていた。山の山頂からは、広大な安芸の平野が見渡せた。
イツセがアキツヒコに行った
「なるほど、豊かでいい国だな・・・アキツヒコ、これからも引き続き、安芸の領民のために尽力してくれよ!」
アキツヒコは我々のほうを向き直り答えた
「恐れ入ります。
・・・時にイツセさま、それにイワレさま・・・安芸の領民に、天の御子がおいでになられたことを、知らせたいのですが」
「それはよいが、どうするのだ?」
「はい、この山の山頂から、天の御子自ら烽火(のろし)を上げていただきたいのです」
「よし、承知した!」
さっそく、石を集めて囲い、たくさんの木を集めて火を焚いた。煙は高く立ち上り、その煙は安芸の国のみならず、日本全土からも見えるかと思われるほどだった。
烽火で我々のことを知った安芸の民は、こぞって多祁理宮に訪れた。わたしは兄イツセとともに民の話を聞き、アキツヒコと協力して、民の生活をよくするための政務に力を入れたのだった。
そして結局、安芸の国には7年間滞在した。
そして安芸の民の見送りを受けながら、我々の艦隊は再び東を目指して出港したのだった。
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☆多家神社
7年間滞在したという安芸の多祁理宮。現在の広島県安芸郡府中町の多家神社と言われています。
神武天皇が「そは誰そ」と尋ねた境内の杜は「誰曽廼森」(たれそのもり)と呼ばれています。
☆火山
山に登って烽火を上げたという話は広島市に伝わる伝承をもとに構成しました。
この山は烽火を上げたことから「火山」(ひやま)と呼ばれるようになりました。広島県広島市安佐南区の火山だといわれています。
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