黄泉の国から帰ってきたわたしは、日向の橘の小戸の阿波木原に来ていた。
わたしは禊(みそぎ)のために、九州のこの地にやってきたのだ。
わたしは黄泉の国に行ってきた。黄泉の国は死者が行く穢れた国である。
その黄泉の国に行った私の体にも穢れがまとわりついている。この穢れを落とさなければならない。
わたしは川のほとりに来た。すでに日は暮れている。
月明かりの下、わたしは来ているものを脱いで投げ捨てた。杖も帯も衣も、袋も冠も指輪もすべて。
投げ捨てたものからは、また多くの神が生まれてきた。道をつかさどる神々である。今は集落の入口に道祖神として祀られている。
来ていたものを脱ぎ捨てたわたしは、川の中に入っていった。わが身に当たる川の流れが心地よい。
わたしは川の中ほどまで来た。そこで身体を漱ぎ穢れを落とす。
その穢れからも神が生まれてきた。これは残念ながら世の中に災いをもたらす穢れの神だった。
ただ禊をすませたわたしの身体からは、穢れを浄化する神も生まれてきた。
わたしはさらに深みに進んでいき、全身を川に浸して禊を進めた。そこでまた神が生まれてきた。綿津見三神と呼ばれる海の神、それに住吉三神と呼ばれる航海の神である。
前<<< 岩で道を塞いだ - 古事記の話
次>>> 三貴神が生まれた - 古事記の話
☆江田神社
宮崎県宮崎市阿波岐原町(あわぎがはらちょう)にある江田神社はイザナギを主祭神として祀っています。神社の近くにはイザナギが禊をしたという「みそぎ池」が残っています。
福岡市東区志賀島の志賀海神社は綿津見三神を祀っており、全国の海神を祀る神社の総本社とされています。
☆住吉神社
みそぎで生まれた住吉三神を祀る神社です。全国にあり、大阪市の住吉大社が総本宮とされますが、その始祖となるのは福岡の住吉神社と云われています。
≪リンク≫
小説古事記
古事記ゆかりの地を訪ねて
カリバ旅行記
温泉の話
駅弁の話
鉄道唱歌の話