古事記の話

古事記を小説風に書き直してみました

ヤマトタケルの薨去

ヤマトタケルの自伝 後伝 1(キビノタケヒコの自伝)

 

 

わたしの名はキビノタケヒコ。ヤマトタケルさまに仕えていた。しかし、そのヤマトタケルさまは昨日、薨去された。

 

わたしはヤマトタケルさまが蝦夷征伐に向かうのにあたり、従者として伴をしていくことを陛下(景行天皇)より命じられていた。それ以来ヤマトタケルさまに同行し、ヤマトタケルさまをお護りしてきたのである。

時にはヤマトタケルさまに命じられ、単独で越の国を平定に行ったこともあった。

 

しかしヤマトタケルさまは、大和に帰還する途中、伊吹山に登ったとき、神の怒りに触れて身体を崩された。

しかしそれでもヤマトタケルさまはよろめく身体で、杖をつき、這うようにして大和を目指して歩いてここまで来たのである。

 

しかし、それも限界が来ていた・・・

能煩野の地に至ったとき、ヤマトタケルさまは倒れて動けなくなったのである。

 

ヤマトタケルさま、しっかりしてください!」

わたしは必死でヤマトタケルさまを介抱したが、その時ヤマトタケルさまはもはや起き上がる力も残ってなかったのである。

 

  大和は 国のまほろ

  たたなづく青垣 山こもれる

  大和し うるわし

 

ヤマトタケルさまは薄れゆく意識の中で、歌を読まれた。そして・・

 

  乙女の 床の辺に

  我が置きし つるぎの大刀

  その大刀はや

 

ヤマトタケルさまがミヤズヒメさまを想って詠まれた歌・・・それが最期だった・・

ヤマトタケルさまは二度と目を覚まされることはなかったのである。

 

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ヤマトタケルの自伝 目次

 

 

☆キビノタケヒコ

 

ヤマトタケル蝦夷征伐に随伴したキビノタケヒコ(吉備武彦)。

日本書紀においてはヤマトタケルの死の直前、ヤマトタケルにより天皇のもとに遣わされ、ヤマトタケルの最後の言葉を天皇に伝えました。

 

拙ブログではそのままヤマトタケルのもとにとどまったことにして、その後の様子を語っていきます。

 

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