ヤマトタケルの自伝 12
わたしは父の命を受け、東国に向かっていた。足取りは重かった・・・
なんだろう、あの父の冷たい態度は・・・伴につけてくれたキビノタケヒコなんてどんな人物かさえもわからない。ましてやヒイラギの鉾なんて、儀式に使うもので実戦で役立つ武器ではないのだ・・・
そして伊勢の国まで来た。わたしはここで、叔母のヤマトヒメを訪ねた。
クマソタケルの征伐では、ヤマトヒメから借りた着物のおかげでうまく奴らを打ち取ることができたのだ。そのお礼も言い語った。
ヤマトヒメは伊勢神宮を創始してアマテラス大御神を祀っている。今はアマテラス大御神にその御杖代(みつえしろ)として仕えている。
「伯母上、熊襲の征伐からただいま戻ってまいりました」
「あら、オウス・・・いや、今はヤマトタケルだったわね!よく来てくれたわね!」
ヤマトヒメは、今回もわたしを温かく迎えてくれた。神に仕える斎宮として独身を貫かねばならないヤマトヒメは、甥のわたしを我が子のようにかわいがってくれている。
「ヤマトタケル、聞いたわよ、熊襲征伐のこと。大手柄だったじゃない!よくやったわね!」
「・・・伯母上・・・」
わたしは、思わず涙が出てしまった・・・もう、着物のお礼のことなど、どこかに行っていた・・・わたしは伯母上に、たまった感情を吐き出したい欲求に駆られて抑えることが出来なかった・・・
「・・・ああ、伯母上!・・・」
「ちょっと、ヤマトタケル!どうしたの・・・?」
わたしは従者が見ているにもかかわらず、その場で泣き崩れてしまったのだった・・・
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☆御杖代
ヤマトヒメは本章第4話でもご紹介しましたが、伊勢神宮を創設しアマテラスの御杖代となって仕えています。
御杖代(みつえしろ)とはつまり「杖の代わり」となって支える、という意味。特に伊勢神宮の斎宮、加茂神社の斎院についてこの呼称が使われます。
斎宮(さいぐう)とはアマテラスに巫女として使える未婚の内親王のことをさし、もともとは居住する宮をさしましたが、後に巫女も斎宮と呼ばれるようになりました。
平安時代末期までは継続しておかれましたが、その後は途絶えがちになり南北朝時代に廃絶しています。
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