古事記の話

古事記を小説風に書き直してみました

オオタタネコを探せ

オオビコの自伝 2

 

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ある日、わたしは天皇陛下に呼ばれ、宮中に参上した。

 

そして陛下から

「オオビコ、人を探し出してほしい。オオタタネコという名の人物だ」

と告げられた。

 

「・・・オオタタネコ・・・ですか?」

「ああ、そいつが今はやっている疫病を鎮めることができるのだ。ぜひとも早急に探し出してくれ」

 

今はやっている疫病・・・そう、そのころ、日本の国内では疫病が猛威を振るっていた。一人が感染するとたちまちのうちに家族全員が感染し、村人にも広がり、高熱に苦しみ次々と死んで行く状況だったのである。その死者は国の民の半数にも達していた。

朝廷でも病に苦しむ貧民のために施薬院を建て、また祈祷を行い疫病平癒を祈っていたが、効果はほとんどなかった。

 

陛下はそんな状況を日々憂慮されていた。そして疫病を鎮めるために、毎夜のように夜は神牀(かむどこ)に入っては神に祈っていたのだ。

 

「しかし陛下、そのこととオオタタネコという人物に、何の関係が?・・・」

「うむ、実は、夢を見たのだ・・・」

 

そして陛下は、昨夜、神牀で見たという夢について話し始めた・・・。

 

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オオビコの自伝 目次

 

 

☆疫病

 

古事記には崇神天皇の御代に「疫病が大流行し国民は死に絶えようとしていた」と記述があり、日本書紀には「死者は数多く、半数以上に及んだ。百姓はさすらい、反乱を起こすものさえいた」と記してあります。

これは疫病流行に関する日本最初の記述とされています。

 

その後仏教伝来とともに天然痘が流行し、江戸時代はコレラが「虎狼痢(コロリ)」と恐れられました。近代になりスペイン風邪では国内の死者39万人(内務省衛生局「流行性感冒」による)、そして今なおリアルタイムで日本を襲っています。

 

☆オオビコ

 

本話の語り手であるオオビコ。前話での自己紹介の通り、崇神天皇の叔父にあたる皇族です。その子孫は阿倍氏となり、蝦夷征討を行った阿倍比羅夫陰陽師安倍晴明などを輩出しました。

 

伊賀国に住み着いた一族は「阿閇氏」(あべし・あへし)を称し、オオビコを氏神として祀ったのが三重県伊賀市の敢国神社(あえくにじんじゃ)です。社伝によると、伊賀市内の御墓山古墳がオオビコの墓だそうです。

 

wikipedia 敢國神社

 

wikipedia 御墓山古墳


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