古事記の話

古事記を小説風に書き直してみました

タケハニヤスの矢

オオビコの自伝 11

 

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わたしはタケハニヤスを討つため、山代の国に進軍していた。

 

そして山代の国に入り、和訶羅川に至った時だった。川の向こうに軍勢が見えた・・・タケハニヤスの軍勢だ。

今まさに大和の都に攻め込もうとしているところだったようだ。

 

危ない所だった。このままわたしが引き返さずに北陸道のほうに進軍していたら、朝廷は奇襲を受けて壊滅していたことだったろう・・

 

わが軍とタケハニヤス軍は、川を挟んで向かい合った。

わたしは副官ヒコクニブクに促し、副官ヒコクニブクが前に出てきた。ヒコクニブクは川の向こうの軍勢に向かって叫ぶ。

 

「朝廷に攻撃を仕掛けてきたのはそなたか!ならばまず、そなたのほうから矢を射てみよ!!」

 

そう、相手は朝敵だ。朝敵の矢がまっすぐわが軍のほうに飛ぶことはないだろう・・・わたしは攻撃の行方を占ってみたのである。

 

果たしてタケハニヤス軍のほうから一発の矢が飛んできた。しかしその矢はわが軍の誰にも当たらず、横のほうへそれていってしまったのである。

 

「よし、案の定、敵軍の矢は外れたな。次はこっちからいくぞ‥ヒコクニブク、やれ!」

わたしに言われたヒコクニブクは、川の向こうの敵軍に対して矢を射った。

 

果たしてその矢は・・・

 

・・・まっすぐタケハニヤス軍のほうに飛んでいき・・・

 

そしてその矢は、軍の後方にいたタケハニヤスに命中したのだった・・・

 

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オオビコの自伝 目次

 

 

☆和訶羅川

 

和訶羅川とは現在の木津川上流部と考えられています。

 

古事記には

「両軍が向かい合った(互いに挑んだ)地を『伊杼美』(いどみ)といい、今では『伊豆美』いずみ)という」

と記述してあります。

現在の京都府木津川市木津付近だと考えられています。

 

☆ヒコクニブク

 

ヒコクニブク(日子國夫玖)は丸邇臣(わにのおみ)の祖先だと古事記に記されています。

日本書紀によると第5代孝霊天皇の皇子の天足彦国押彦命(あめたらしひこくにおしわけのみこと)が和珥臣(わにのおみ)の始祖だとされ、ヒコクニブクはその子孫だと思われます。

 

和珥氏(和邇・丸邇・丸)は大和国添上軍和邇(現在の奈良県天理市和邇町付近)を本拠地とし、古代大和朝廷で権力をふるいました。

この地にある東大寺山古墳は和珥氏の有力者(一説にはヒコクニブク)の墓と伝えられています。

 

wikipedia 東大山古墳

 

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