古事記の話

古事記を小説風に書き直してみました

反乱軍の最期

神功皇后の自伝 19

 

 

港に停船していたわたしの元に、建内宿祢(たけうちのすくね)が戻ってきたのは、それからだいぶたってからのことだった。

武内宿祢は戦況をわたしに報告する。それによると・・

 

建内宿祢は逃げるオシクマの軍を追って、山代まで追い詰めた。しかしそこで、急を聞いたオシクマ臣下のイサヒが、援軍を率いて駆けつけてきたのだ。

両軍は山代で向かい合って対峙したまま、膠着状態に陥った。

 

そのとき、建内宿祢は策略を用いることにした。

「オキナガタラシヒメさまは急に薨去された。こうなっては争っても仕方ないので講和したい」

と敵軍に申し入れたのだ。

 

オシクマとイサヒはこれに見事に騙された。兵たちが武装解除したところを、隠し持っていた弓で一斉に攻撃を仕掛けたのだ。

不意を突かれたオシクマとイサヒの兵たちは、再びちりじりになって敗走したが、琵琶湖まで追い詰められたところで全滅してしまったという。

 

オシクマとイサヒだけは小舟に乗って琵琶湖に逃れた。そして琵琶湖の真ん中で、二人で入水して果てたそうである。

 

 生死を共に 戦いし

 敵に深手を 負わされし

 忠実なりし 我が将軍

 いざ手を取りて いざ行かん

 我らが国は 海の中

 

これが反乱を起こした皇子オシクマの最後の歌だったという

 

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神功皇后の自伝 目次

 

 

 

☆難波根子建振熊命

 

拙ブログでは建内宿祢がオシクマ軍を追っていったことにしていますが、古事記において皇軍の指揮を執ったのは難波根子建振熊命(なにわねこたけふるくまのみこと)となっています。

難波根子建振熊命は大和朝廷でに勢力をふるった和珥氏(わにうじ)の祖とされています。

 

また、オシクマ軍の指揮官は伊佐比宿祢(いさひのすくね)と記されています

 

 

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