神武天皇の自伝 32
わたしはこうして各地で荒ぶる神を平定し、大和に入った。
大和の民は、我々を大歓迎してくれた。
大和に入ったわたしは、ここまでついてきてくれた側近従者、将兵たちの前で宣言した。
「わたしは日向を発って以来、東の国を目指して進んできた。ここに天つ神の威光をもって凶族は誅殺された。辺境の地ではいまだ治めきれてない地もあり、なお敵の残党ありといえども、大和を中心とした日本は平和を取り戻しつつある。
まだ国は未熟で、地方には古い風習も残っている。しかししっかりとした政治を行えば、結果はおのずから見えてくるだろう。ここに山林を開き、都を造って民を導いていこう!
皆心を一つにし、八紘(あめのした)を一つの宇(いえ)として国を作っていこう!」
「イワレさま、ばんざーい」
臣下から大歓声が起こった。それを見たわたしは胸が熱くなり、また決意を新たにしたのだった。
ここにわたしは、畝火(うねび)に白檮原宮(かしわらのみや)を築き、そこを今後の日本統治の拠点とすることにした。宮の造営には大和の多くの民が協力してくれた。
宮はすぐに完成し、わたしは白檮原宮に入った。
そして数年の後、ある年の正月、わたしは天皇(すめらみこと)として即位を宣言したのだった。
前<<< 東征、終わる - 古事記の話 (hatenablog.com)
次>>> 神の御子 - 古事記の話 (hatenablog.com)
☆日本の建国
本話の主人公イワレは天皇(すめらみこと)として即位しました。のちに神武天皇と呼ばれるようになります。現在の第126代今上天皇に続く皇室の初代です。
その即位日は日本書紀には「辛酉年春正月庚辰朔」(かのととりのとし、はるむつき、かのえたつのついたち)と記載してあります。これを現在のグレゴリオ暦に換算すると(西暦)紀元前660年2月11日となり、この日をもって日本の建国とされています。
今ではその意味を知る人も少なくなりました。
2月11日が「建国記念の日」という祝日だということは知っていても、何故その日が日本の建国の日なのかと問えば、答えられる人は少なくなりました(少なくともぼくの身の回りでは皆無でした)
☆橿原神宮
イワレが初代神武天皇として即位したのが畝火の白檮原宮(日本書記での表記は「畝傍の橿原宮」)です。その地には明治23年になり橿原神宮が創建されました。
≪古事記関連の姉妹サイト≫
小説古事記
古事記ゆかりの地を訪ねて
≪その他の姉妹サイト≫