神武天皇の自伝 14
熊野の神邑(みわむら)を出港してしばらくのことだった。
それまで順調な航海が続いていたが、にわかに雲行きが怪しくなり始めた。空の色が暗くなったかと思うと、風が吹き始め、だんだん強くなる。雨も降り始めた。
そして見る見るうちに暴風が吹き荒れるようになった!!
吹き荒れる雨と風で、艦隊は大混乱になった!!船はまるで風に吹かれる木の葉のように、暴風と波に押し流されていく!!
「急げ!早く陸に向かうんだ!!」
しかし艦隊はどんどん沖に流されていく!このままでははるか海のかなたで遭難してしまう!!
「帆をたため!急げ!!」
わたしは命令を出した。しかし船員から
「駄目です!風が強すぎて、帆柱に登ることができません!」
と叫び声が返ってきた。
「やむを得ん!帆を破れ!!」
帆は船員と兵士によって剣でずたずたに切り裂かれた。風に流されなくなった船は、必死の操船で陸に向かう。
旗艦の様子を見たほかの船も、同じようにして帆を切り裂いて陸に向かっていた。
そして命からがら陸に着いたときは、艦隊は6割ほどに減っていた。残りの船は、この嵐で沈むか、沖に流されるかしたのだろう・・・
浜辺には遺体がいくつか流れ着いていた・・・嵐で転覆した船の乗組員だ。昨日まで一緒に行軍してきた仲間の死と向き合うのはつらいことだった・・・
遺体は近くの丘に、手厚く葬った。
しかしいつまでも悲しみに暮れてばかりはいられない。この先進んでいかなければならない。しかし、もう船は使えない・・・
「やむを得ん!ここから陸路で大和を目指す!行くぞ!!」
わたしは兵士たちに向かって命令を出したのだった。
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☆暴風
古事記には記述がありませんが、日本書紀にはイワレの艦隊が暴風にあったと記述されています。三重県熊野市の二木島沖とされています。
古事記ではイワレの次兄イナイと三兄ミケヌは東征前に異国に行ったことになっています。
しかし日本書記ではこのふたりは一緒に東征に出ており、この嵐に遭遇し、自ら生贄となり入水しています。
☆イワレ上陸の地
日本書紀にはイワレが最終的に上陸した地を「熊野の荒坂津、またの名を丹敷浦(にしきのうら)」と記載され、そこでニシキトベを誅殺しています。
その地は主に4か所が比定されています。
「錦」という地名から「丹敷浦」と同一とされたのでしょう。海を見渡せる高台に「神武台公園」が作られています。
ここから大和は西のほうにあり、イワレは兄イツセの遺命通り日を背に受けて進軍していったことになります。
②三重県熊野市二木島
暴風で遭難した場所の近くです。イワレたちは上陸したというよりも、これ以上先に進めずやむなく流れ着いた、ということになります。
神武天皇を祀る熊野荒坂津神社が建立されています。
町内の熊野三所大神社の摂社にイワレが誅殺したニシキトベが祀られています。
③④だと嵐にあった二木島沖から戻ったことになります。暴風で押し戻されたのでしょうか。
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