神武天皇の自伝 26
皇軍は忍坂でヤソタケルを討ち、さらに進軍し磯城(しき)の地に出た。ここは大和の平原の西の端である。ここを越えれば大和だ。
この磯城の地は、エシキ・オトシキの兄弟が支配していた。この兄弟たちについては、熊野からついてきた国つ神たちもあまりよく知らないらしい。
そこで宇陀のエウカシの時と同様、八咫烏を使いとして送ることにした。八咫烏は「くわあ~~」と鳴きながら飛んでいった。
一刻後、八咫烏が戻ってきた。
八咫烏によると、エシキの屋敷で「天の御子が来ている。そなたはお仕えするか」と鳴いた。しかしエウカシは矢を射て八咫烏を追い払ったそうだ。
一方、オトシキは恭順の意を示した。そのうえで「兄のエシキは兵を集め、迎えうとうとしています。お気をつけなさいませ」と八咫烏に進言したという。
「そうか、ありがとう。ということは、先手を打ってエシキを討たねばなるまいな・・・」
わたしは総攻撃の命を出そうとした。その時だった。
「お待ちくださいませ。相手の正体も皆目わかりませぬ。むやみに攻め込んでいってはこちらも痛手を受ける恐れがあります。」
そう進言したのは、早吸門からすっとわたしに付き従っているサオネツヒコだった。
「兵を半分に分けてみてはいかがでしょう、まずはイワレさま自ら軍を率いて、忍坂から出て攻撃をかけるのです。イワレさまが率いている軍勢ですから、敵は主力部隊だと思って総力を挙げて攻撃してくるに違いありません。
その間にわたくしはもう半分の兵を別動隊として率いて、敵の背後に回り込みます。そして奇襲をかけ、敵軍を挟み撃ちにするのです」
なるほど、言われてみればその通りだ。正面から攻撃することばかりが能ではないだろう。
わたしはサオネツヒコの進言を採用することにし、兵を集めて作戦を告げた。
しかし、兵士たちの顔を見ると、疲れているようにも見える。無理もない。ここまで山奥の険しい道を進軍し、その間何度も戦いを行ってきたのだ。
そこで、わたしは歌を詠んだ。
盾を並べた 山の上
敵はいつでも 攻めてくる
見張りをしろよ ぬかるなよ
さあ戦いだ ぬかるなよ
続くわれらの 戦いは
日本の明日を 築くため
吉野の鵜飼の わが友は
我らのために その獲物
今に届けに 来てくれる
さあ出陣だ さあ行こう!
わたしの歌を聞いた兵士らは「ううぉー!!」と鬨の声を上げた。
今までの疲れた顔はどこに行ったのか、兵士らは元気よく出陣していった。
こうして戦意を奮い立たした我が皇軍は、計画通りエウカシの軍を挟み撃ちにして打ち破ったのだった。
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☆サオネツヒコ
古事記ではサオネツヒコ(槁根津日子)の登場は速吸門(はやすいのと)で出会った時だけで以後なにか活躍したという描写はありません。
一方日本書記ではイワレに従軍し功績をあげています(日本書記での表記はシイネツヒコ/椎根津彦)。
本章は日本書紀の記述をもとに再構成しました。
☆エシキ・オトシキ
その内容は先のエウカシ・オトウカシと被るところもあり、記紀の編者が両者を混同している可能性も指摘されています。
日本書紀にはエシキの討伐の様子が詳しく書かれています。しかし古事記では、とってつけたように「エシキ・オトシキを撃った時、軍勢が疲れた。この時の歌は・・・」としてイワレの歌が紹介されているだけです。
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