山幸彦の自伝 27
トヨタマヒメが海に帰り、早数年の時が立った。
トヨタマヒメが残していった子は、ウガヤフキアエズと名付けた。ウガヤフキアエズはすくすくと育っていった。それというのも・・・
トヨタマヒメが自分の妹、タマヨリヒメを、子の養育のために地上に送ってくれていたのである。
タマヨリヒメは、ウガヤフキアエズに、まるで母親のごとく愛情をもって育てていた。
その姿・・・あたかも姉の、そしてわたしの后の、トヨタマヒメを見ているようだった。
そしてタマヨリヒメは、時に海神の宮殿に戻っては、トヨタマヒメの様子を私に知らせてくれた。聞けば、トヨタマヒメは元気にしているという。
ああ・・・トヨタマヒメ・・・わが后・・・戻ってきてくれれば、何と幸せなことだろう・・・
そんなある日、タマヨリヒメは、トヨタマヒメの言葉を伝えてきた
「赤い琥珀の玉は緒までも輝くものですが、それにもまして輝く白い真珠のような、あなたのお姿・・・わたくしは決して忘れることはありません」
それを聞いたわたしは
「ああ、沖の鳥が舞い降りる島で、一緒に添い寝たわが后・・・わたしも命がある限り忘れはしない」
と、海に向かってつぶやいたのであった。
そして時は流れ、十数年・・・
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生まれた経緯がそのまんま名前となったウガヤフキアエズ。古事記での表記は「天津日高日子波限建鵜草葺不合命」(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)です。
☆ホオリの陵墓
日向二代目の山幸彦ホオリの陵墓は鹿児島県霧島市の高屋山上陵(たかやのやまのえのみささぎ)とされています。
☆ウガヤフキアエズの陵墓
日向三代ウガヤフキアエズの陵墓は公式には鹿児島県鹿屋市の吾平山上陵とされています。近くの鵜戸神社でウガヤフキアエズが祀られています。
またウガヤフキアエズ生誕の地である鵜戸神宮境内にも陵墓と伝えられる地があり、陵墓参考地として宮内庁が管理しています。
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