山幸彦の自伝 28
わが后、トヨタマヒメが海に帰り、はや十数年。
トヨタマヒメは、わたしたちの子ウガヤフキアエズの養育のために妹のタマヨリヒメを送っていた。ウガヤフキアエズはタマヨリヒメの献身的な養育により、今では立派な青年に成長していた。
わたしは毎日、そんなタマヨリヒメの姿を見ては、妃のトヨタマヒメの姿に重ね合わせていたのである。ああ、トヨタマヒメ・・・お前がここにいてくれたら、ウガヤフキアエズも喜んだであろうに・・・
そんなある日のことだった。わたしの部屋に、ウガヤフキアエズとタマヨリヒメが入ってきた。
ウガヤフキアエズが言った。
「父上、お話があります」
「ん、なんだ、改まって?」
「はい、わたしは、タマヨリヒメを后に迎えたいのです。お許しいただけますか?」
「ええっ!?」
予期しないウガヤフキアエズの言葉にびっくりし、わたしは二人をじっと見つめた。二人は真剣な顔をしている。
もちろん、わたしに異存があろうはずがない。
「おう、そうか・・・タマヨリヒメ、これからもウガヤフキアエズをよろしく頼むぞ。
おい、ウガヤフキアエズ!これからはお前の妻だからな!!今までみたいになんでも甘えるんじゃないぞ!それから・・・
子ができても、決して産屋はのぞくなよ!!」
わたしの返事に、二人は当然、大喜びだった。
そしてわたしは、これを機に引退し、今後の日本の統治はウガヤフキアエズに任せることにしたのである。
そしてさらに時がたち、年の離れたウガヤフキアエズとタマヨリヒメであったが、夫婦仲はとても良かった。そして二人の間には4人の男児が生まれた。
4兄弟はそれぞれイツセ、イナイ、ミケヌ、イワレと命名された。
わたしにとっては孫であるこの男児たちも、両親の愛情を受けてすくすくと育っていった。
日本の未来は、この若い世代に託され、受け継がれていくことだろう。
ー山幸彦の自伝 完-
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☆タマヨリヒメ
トヨタマヒメの妹です。すなわちウガヤフキアエズは叔母を后として迎えたことになります。
宮崎県日南市の宮浦神社はタマヨリヒメの住居跡と言われています。
☆山幸彦の自伝 完結です
今年一年、「古事記の話」をお読みいただきありがとうございました。
次は神武天皇東征の物語を書いていきたいと思います。古事記を中心に、日本書紀も参照しながら、神武天皇の一人称で進めてまいります。
早速、明日の1月1日より公開いたします。
来る年もよろしくお願い申し上げます。
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