ニニギの自伝 17
我が后コノハナサクヤヒメが、命を懸けて我が子だと証明して見せた三人の子。それぞれホデリ、ホスセリ、ホオリと名付けた。
このうち次男ホスセリは、残念ながら病がもとで数え3歳の誕生日を迎えることなく、早逝してしまった。
しかし長男ホデリと、三男ホオリはすくすくと成長していった。わたしとコノハナサクヤヒメは、このふたりの子に惜しみない愛情を注いで育てていった。
そのうち、長男ホデリは海での釣りに興味を覚えだし、暇を見つけては海まで行って大小のさまざまな魚を持ち帰るようになった。皇子のその姿を見て、日向の民はホデリを「海幸彦」(うみさちひこ)と呼んで親しんだ。
一方、三男のホオリが興味を持ったのは山での狩りだった。毎日のように弓矢をもって山野を駆け巡り、これも大小とりどりの獲物を持ち帰ってきた。日向の民はホオリを「山幸彦」(やまさちひこ)と呼ぶようになっていた。
そして二人の皇子が立派に成長した時、わたしはこの二人に日本の統治権を譲って引退した。
その後は二人で日本の国を共同統治することになった。統治者となった後もそれぞれ政務の合間を見ては、海での釣りに、山での狩り出かけていたようだ。
公私ともに充実した様子の二人の皇子・・・はやくふたりの后、そして孫の姿を見たいものだ・・・
しかしそれはかなわぬ夢のようだ。いま、わたしの寿命は尽きようとしている。もうわたしの命も長くはない。
山の神オオヤマツミの願いを踏みにじったばかりに、わたしに死が訪れようとしているのだ。この手記を書き上げると間もなく、わたしの寿命の灯は消えるだろう。
だが、悔いはない。わたしは日本の国の祖として、この国の統治機構の基礎を作り上げた。今、日本の国は繁栄している。
そしてこの繁栄はこの後、わたしの子、そして その子、子孫代々に至るまで受け継がれていくであろう。
― ニニギの自伝 完 ―
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☆ニニギの陵墓
ニニギの寿命は記紀には記されていません。ただ、日本書紀には、ニニギを含めた日向三代の期間を179万2470年余りと記述してあります。
また先日述べたようにニニギの治世期間が30万8533年と伝える書物があります。
寿命ができたといっても人間をはるかに超越する長寿だったようです。
ニニギの墓は、公式には鹿児島県薩摩川内市の新田神社境内にある可愛山陵とされています。皇室祖先の陵墓として宮内庁により管理されています。
また西都原古墳群の男狭穂塚、宮崎県延岡市の北山陵墓もニニギの墓と伝えられています。これらは陵墓参考地として宮内庁により管理されています。
☆ニニギの自伝、完結です
お読みくださいました皆様、ありがとうございました。
高天原からきた天つ神でありながら、醜いイワナガヒメを拒絶したり、妊娠した妻に「そいつは不倫相手の子だろう!」と言い放ったり・・・
神様らしからぬ神様が多い日本の神話ですが、ニニギもそんな神様でした。
次は高天原の名脇役、オモイカネの視点から高天原神話を書いてみたいと思います。7月4日から公開いたします。引き続きよろしくお願いいたします。
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