古事記の話

古事記を小説風に書き直してみました

高千穂に宮を置く

ニニギの自伝 8

 

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わたしは天つ神として、日本の統治を行うために、高千穂のくしふる嶽に降臨した。

 

しかしここから先は、われわれにとって未知の領域だ。この先、どんな危険が待っているかわからない。

日本の民にとっては、我々が彼らの国を奪った侵略者に見えているかもしれない・・・

 

ここからはオシヒとクメの護衛の下に進むことにした。二神とも武神としての名が高く、われわれの兵士を束ねている信頼の高い神である。

オシヒとクメは石のように固い矢入れを背負い、太刀を構え、弓を手に取り、矢を脇にはさみ、われわれの先頭にたって進んでいった。

 

そしてくしふる嶽を降りて進軍し、開けた平地に出てきた。わたしは、この地で宣言した。

 

「ここは海外の国にも通じていて、笠沙の岬から日本の国全体も見通せる。朝日が差して、夕日が照らす、とても良い地だ。ここに宮を営み、オオクニヌシが築き上げた日本を発展させていこうぞ!!」

 

「ニニギさま、天の御子、万歳!!」

 

早速われわれはそこに、高千穂宮の造営に取り掛かった。

そしてそこには、数多くの日本の民たちが集まってきた。彼らは寝る間も惜しんで宮の造営に協力してくれた。

わたしが日本の民に対して抱いていたの心配は杞憂だったようだ。

 

高千穂宮はすぐに完成した。

そして宮に入ったわたしは、日本の国の統治を始めたのだった。

 

  

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ニニギの自伝 目次

 

 ☆オシヒ・クメ

 

ニニギを護衛した二人の神は、その後も代々皇室に仕えました。神武東征の際、エウカシの策略からイワレ(後の初代神武天皇)を守ったミチノオミとオオクメはそれぞれオシヒとクメの子孫とされています。

オシヒの子孫は後世、大伴氏として大和朝廷で権力を振るいました。クメの子孫は久米氏を名乗ったと伝えられます。

 

kojikinohanasi.hatenablog.com

 

☆高千穂宮

 

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高千穂にはその後三代にわたって宮が営まれました。その地は諸説ありますが、高千穂町高千穂神社とするのが有力です。

 

karibaryokouki.hatenablog.com


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