皇后に依りついた神の神託を受けて、ただちに出兵の準備が整えられた。
海をわたるための軍船が用意され、兵站も準備万端整えられた。
「よし、いくぞ」
号令をかけたのは皇后オキナガタラシヒメである。夫を失い、御子を懐妊しながらも、皇后は自ら先頭に立って指揮を執っていたのである。
兵員たちは船団に乗りこみ漕ぎ出していった。
船団は那の津の海を進んでいく。海の神が鎮座される志賀島の脇を通り過ぎる。皇后と建内宿祢は志賀島に拝礼し、航海の安全と戦勝を祈った。
そして船は玄海灘に出た。遠くに宗像三神が鎮座される島がかすんで見える。
すると、にわかに船団の周りに波が立ちだした。風は全く吹いていないのに、どういうことだろう・・・波の下からは白いあぶくがそこかしこと浮かび上がってくる。
「な・・なんだ・・これは・・」
兵士たちは口々に叫ぶ。そして、その正体は誰の眼にも見えるようになった。
「魚だ!・・こんなにたくさん・・一体どうしたというんだ!」
集まった魚は船の下に集まり、そして一斉に同じ方向に向かって泳ぎだした。
同じ方向に風も吹いてきた。帆ははちきれんばかりに膨らんだ。
魚が起こす波に乗り、追い風に乗って、船団はどんどん進んでいった。
前<<< 皇后に御子が! - 古事記の話
次>>> その時、新羅で - 古事記の話
古事記上巻 日本神話 目次
古事記中巻 神武天皇~応神天皇 目次
☆御島神社
日本書紀によると、神功皇后は住吉三神の神託を受けた後、海水で髪をすすいで戦果について占いました。現在、香椎沖に鳥居が浮かぶ香椎宮の末社、御島神社がその地と言われています。
全国の宮地嶽神社の総本社とされています。神社の裏手にある宮地岳に神功皇后が登って戦勝を祈願されたのが始まりだそうです。
ただしこの宮地嶽神社は古事記・日本書紀のいずれにも記載はありません。
北部九州沿岸には記紀に記載はなくとも、著名な宮地嶽神社からその土地の郷土史研究家しか知らないような小さな石碑まで、各地に神功皇后の伝説が残っています。
≪リンク≫
カリバ旅行記
温泉の話
駅弁の話
古事記ゆかりの地を訪ねて