新羅からの帰還後もしばらく皇后は筑紫の国に滞在していた。
冬を越して4月上旬のある日、皇后は末羅県玉島里(まつらのあがたのたましまのさと)に巡行に来ていた。
新羅を従えた皇后は民衆に人気が高く、行く先々で大歓迎を受けていた。
皇后は玉島川のほとりで昼食をとっていた。天気は良く温かい春のひざしが降り注ぎ、心地よい。澄んだ川にはたくさんの魚が泳いでいるのが見えた。
すると皇后は、何を思ったかすっと立ち上がり、履いていた袴を脱ぎ始めた。
「え・・陛下・・何をなさるのです?」
あっけにとられる側近を横目に皇后は脱いだ袴をほぐし、糸を取りだす。と思うと、川に突き出た岩の先端にどかっとあぐらで座ると、飯粒をエサに鮎釣りを始めたのだった。
この時以来、玉島の地では、4月の上旬に女たちが裳の糸をほどき鮎釣りをする習慣が始まったという。
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☆垂綸石
佐賀県唐津市浜玉町にあり、神功皇后が座って鮎釣りをした岩だと伝えられています。
なおこの話、古事記では朝鮮出兵後のこととされていますが、日本書紀では出兵の前に戦果を占うために鮎釣りをした、ということになっています。
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