神功皇后の自伝 21
「母上!ただいま戻りました!」
「おお、ホムダワケ・・・大きくなりましたね!こんなに立派になって・・・!」
そう、その日、我が皇子ホムダワケが角鹿(つぬが)から帰ってきたのである。稚児姿だったホムダワケは、それからも成長を重ね、今では立派な若者になっていた。
わたしは成長したわが皇子を祝い酒で出迎えた。
その祝いの席で、わたしは歌を詠んだのである。
酒の神の 祝い酒
常世の国に 鎮座なる
現世にては 磐座の
スクナビコナの 祝い酒
さあいただこう 祝い酒
これにホムダワケにかわって建内宿祢が答えて歌を詠んだ
神が醸した この酒は
鼓を樽に 立てかけて
歌いながら 醸したる
踊りながら 醸したる
ああこの酒は この酒は
ああ楽しきよ この酒は
こうして皆で我が皇子ホムダワケの帰還を祝い、今後の成長を祈ったのだった。
その翌日、ホムダワケの立太子の儀式を執り行い、正式に皇太子となった。
そしてそれから十数年、現在ではホムダワケは、将来の日本の統治者としてふさわしい、聡明な青年となっている。
わたしの亡きあとも、日本国は安泰であろう。
- 神功皇后の自伝 完 -
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☆神功皇后陵
神功皇后は約70年間の間、日本の国を統治しました。神功皇后の薨去後にホムダワケが第15代応神天皇として即位しています。
神功皇后の御陵については、古事記・日本書記には「狭城楯列陵」(さきのたたなみのみささぎ)と記してあります。
奈良県奈良市山陵町の五社神古墳(ごさしこふん)が宮内庁により「狭城盾列池上陵」(さきのたたなみのいけのえのみささぎ)として神功皇后の御陵に比定されています。
「神功皇后の自伝」、ここでお開きとさせていただきます。最後までお読みいただきありがとうございました。
この後、しばらくお休み鵜をいただいたのち、神功皇后の祖先にあたる朝鮮の王子「天之日矛」(あめのひぼこ)の物語を書いていきたいと思います。7月中には始めたいと思います。
引き続きよろしくお願いいたします。
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