神功皇后の自伝 15
新羅をはじめ、高麗・百済の三国は朝廷の臣下となり、日本の属国となった。
そしてわが艦隊は、日本に帰っていった。
ところでわたしは、先にも申し上げた通り、この時すでに亡き夫の子を懐妊していたのだ。それを、丸い石を帯に巻いて腹にあてて、生まれそうになるのを鎮めていたのだ。
艦隊は玄界灘を再び渡り、筑紫の那の津に帰り着いた。そして筑紫の地で、帯をほどいて石を外し、その願を説いたのである。
そして筑紫の地で生まれたのである。皇子のホムダワケである。
ホムダワケが生まれた地は、その後宇美と呼ばれているようだ。
わたしの腹に巻いて皇子が生まれるのを鎮めていた石は、筑紫の伊斗村に祠を作り納めた。
その石は今もその地の住民によって、大事に祀られているそうである。
前<<< 三韓は日本に - 古事記の話 (hatenablog.com)
次>>> いきなり鮎釣り - 古事記の話 (hatenablog.com)
神宮皇后が皇子ホムダワケ、後の応神天皇をお産みになったことから「宇美」の地名が付きました。現在の福岡県粕屋郡宇美町です。
☆鎮懐石八幡宮
神功皇后が腹に巻いていた石を納めた筑紫の伊斗村(いとむら)、魏志倭人伝に出てくる「伊都国」との関係性も論じられています。律令制以降は「怡土郡」(いとぐん)となりましたが、明治になり「志摩郡」と合併し糸島郡となりました。
現在の福岡県糸島市です。
糸島市二丈町の鎮懐石八幡宮が、神功皇后が腹に巻いてた石を納めたところだと伝えられています。
≪古事記・古代史関連の姉妹サイト≫
小説古事記
古事記ゆかりの地を訪ねて
≪その他の姉妹サイト≫
≪ツイッターもしています≫
https://twitter.com/sikisima10