古事記の話

古事記を小説風に書き直してみました

いきなり鮎釣り

神功皇后の自伝 16

 

 

わたしは三韓の征伐を終えて筑紫に帰り、皇子のホムダワケを出産した。

 

その後もしばらくわたしは筑紫に滞在していた。産後でもあり、大和への長旅はつらいものがあった。

それに、征服したばかりの三韓についての統治も行わなければならなかった。そのためには大和に帰るより、しばらく筑紫に滞在したほうが政務を行う上で都合がよかったのである。

 

そしてそのまま冬を越し、4月になった温かい日のことであった。

わたしは末羅県(まつらのあがた)の玉島里(たましまのさと)に巡行に来ていた。そこでもわたしは民の大歓迎を受けていた。

 

そんなおり、わたしは玉島川のほとりで昼食をとっていた。降り注ぐ春の日差しは暖かい。あたかもアマテラス大御神が日本の国を守ってくれているように・・・

その陽に照らされて、川面はきらきらと輝いている。その川の下ではたくさんの鮎が元気よく泳いでいるのが見える。

 

「・・・そうだ!」

 

わたしはちょっといたずら心を起こしてしまった。

わたしはすっと立ち上がり、近くにあった岩によじ登る。そして岩の上で、履いていた袴を脱いだ。

 

「え、オキナガタラシヒメさま・・・何をなさるのですか?!・・・」

 

その様子を見ていた従者が驚いて言う。まあそりゃそうだろう・・

わたしは何も言わず、いたずらっぽく従者らに笑いかけた。そして脱いだ袴をほぐして糸を一本よりだすと、その糸に食事の飯粒をつけ、川に垂らした・・

 

そう、飯粒で鮎を吊ろうと思ったのである。

 

これが、大当たりだった!釣れるわ釣れるわ、たちまち大漁の鮎の山ができてしまった・・・

わたしはうれしさのあまり、思わず叫んだ

「おお、これは珍しい!」と・・

 

釣った鮎は村人たちに分け与えた。そして我々は詞志比宮に帰っていったのである。

 

この翌年から、玉島村では毎年4月に女たちが袴の裾をほどき鮎釣りをするようになったと聞いている。

 

神功皇后が鮎を釣ったと伝わる垂綸石≫

 

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神功皇后の自伝 目次

 

 

 

☆万葉垂綸石公園

 

神功皇后が「珍しい!」と感嘆したことから、その地を「梅豆欏国」(めずらのくに)というようになり、後に「松浦」となりました。

神功皇后が鮎釣りをしたという「垂綸石」が唐津市浜玉町(旧松浦郡玉島村)に伝えられています。

 

karibaryokouki.hatenablog.com

 

なお、この物語、古事記では三韓征伐の後の話となっていますが、日本書紀では出港前に戦いの成否を占うために鮎釣りをした、ということになっています。

 

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