神功皇后の自伝 17
わたしは新羅から筑紫に帰還した後、そのまま詞志比宮に滞在して三韓の統治をおこなっていた。しかしその足固めもほぼ終わったので、大和に戻ることになった。
しかし大和に戻ろうとするときのことである。重臣の建内宿祢(たけうちすくね)がわたしの耳に入れておきたいことがある、と執務室を訪ねてきたのだ。
「タケウチ、何事ですか?」
「オキナガタラシヒメさま、実は、大和で不穏な動きがあるとのうわさがございます」
「うわさとは?・・・」
「はい、実は、カゴサカさまとオシクマさまの兄弟が、生まれたばかりのホムダワケを亡き者にして自分たちで天下を取ろうと画策しているそうでございます」
「え、カゴサカとオシクマが!?・・・」
カゴサカとオシクマは、夫の天皇とオオナカツヒメとの間に生まれた皇子である。天皇として正当な血筋にあるのは間違いない。
とはいえ、神から次に天下を統治するものとしてお告げを受けたのは我が子ホムダワケである。そうやすやすと天下をくれてやるわけにはいかない。
このままでは皇位がホムダワケのものになるのを恐れて、ホムダワケを殺そうとしているのであろう・・・
「タケウチ、このまま大和に帰るのは危ないですね。どうしたものでしょう」
「そうですね、ここはひとつ、こちらから先手を打って、策略をもって攻めてみてはいかがでしょう」
「策略とは?」
「はい、それはですね・・・」
そしてわたしは、建内宿祢の進言の通りにカゴサカとオシクマを攻めることにしたのである。
まずは、ホムダワケは薨去したという偽りの情報を大和へ流した。そして喪船を造り、皇子ホムダワケの遺体を大和に帰す、と言ってその喪船を筑紫から大和へ向けて出港させたのである。
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☆神功皇后の即位
第14代仲哀天皇の崩御から第15代応神天皇が即位するまで、69年間の天皇空位期間があります。この間、神功皇后が政務をとっていたわけですが、古事記・日本書記には神功皇后が天皇として即位していたという記述はありません。
一方で神功皇后が天皇として即位していたとする文献もありました。明治以前には第14代仲哀天皇に続き第15代天皇とされることもありました。
しかし、大正15年に正式に歴代天皇から外されています。
現在では日本最初の女帝は第33代推古天皇とされています。
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