古事記の話

古事記を小説風に書き直してみました

三韓は日本に

神功皇后の自伝 14

 

 

新羅の国王はわたしに降伏の意を示し、わたしの臣下となった。

わたしは重臣の建内宿祢(たけうちすくね)に、降伏文書の調印と朝貢物を受け取りを命じた。建内宿祢は兵士を伴って王宮に入っていった。

 

数刻の時が過ぎた。建内宿祢が戻ってきた。

彼はわたしに報告する

 

新羅国王は、人民の戸籍や地図を差し出しました。そして永遠に日本の臣下になると誓い、その文書に署名されました。これで新羅の国は日本の属国となることが確定しています。

また、金銀や綾錦、絹、そのほか多くの朝貢物を差し出すそうでございます」

 

「うむ、ご苦労でした。それからタケウチ、最後にわたしの持っているこの矛(ほこ)を、王宮の門前に立てておきなさい。いつまでも日本の臣下として従うよう、後世へのしるしとして」

「はい、かしこまりました」

 

こうしてわたしの矛が新羅の王宮の門前に立てられた。

そして我々皇軍は多くの財物を持ち帰り、日本に戻っていった。

 

この時建てられたその矛は、今も新羅王宮の門前に立っているということである。

またこの年以来、新羅の国王は多くの船を日本に派遣し朝貢するようになった。

 

それから、これも後の話になるが、これを聞いた高麗・百済の国も、我々の侵攻を恐れて朝貢の使者を送ってきたのである。

こうして新羅・高麗・百済三韓の国が、日本の属国として朝廷の臣下に下ったのであった。

 

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神功皇后の自伝 目次

 

 

 

新羅百済・高麗

 

朝鮮史に言う三国時代、おおよそ4世紀ころから7世紀ころまで朝鮮半島を支配していた三国です。

古代日本語ではそれぞれ「しらぎ」「くだら」「こま」と読んできました。

 

現在では後に朝鮮半島を統一した高麗との混同を避けるため、高麗は「高句麗」と表記することが一般的になっています。

 

 

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