古事記の話

古事記を小説風に書き直してみました

神功皇后の自伝 プロローグ

神功皇后の自伝 1

 


わたしの名前はオキナガタラシヒメ。

 

父・オキナガスクネと母・カヅラキノタカヌカヒメの間に生まれた。父は第9代開化天皇を祖先に持ち、また母はその祖先をたどると新羅国王のアメノヒホコにたどり着く。

つまりわたしは、日本国天皇と朝鮮国王の両方の血筋を受け継いでいる。

 

夫はタラシナカツヒコ、今は亡き仲哀天皇である。わたしは夫とともに、朝廷に反乱を起こした熊襲を討伐するために筑紫の詞志比宮(かしいのみや)に来ていたが、そこで夫は亡くなった。

その後はわたしは夫に代わり、皇軍を率いて朝鮮まで遠征に行ったのである。

 

熊襲征伐に来たはずなのに、なぜ朝鮮への遠征に変わったかというと・・・

 

今からその、わたしの数奇な物語を、こうやって書き記しておきたいと思う。

 

次>>>  詞志比宮にて - 古事記の話 (hatenablog.com)

 

神功皇后の自伝 目次

 

 

 

神功皇后

 

本日より神功皇后(じんぐうこうごう)による三韓征伐の物語を、皇后自身の語りにより進めてまいります。

 

神功皇后は第14代仲哀天皇の皇后です。神功皇后諡号奈良時代に定められました。

名前は古事記では「息長帯日売命」、日本書紀では「気長足姫命」、読みはどちらも「おきながたらしひめのみこと」です。

 

その実在については学者によりさまざまな説があり、また邪馬台国卑弥呼に比定する学説も根強く存在しています。

 

 

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