古事記の話

古事記を小説風に書き直してみました

砦を攻撃する

オオビコの自伝 外伝2(タケヌナカワの自伝)

 

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わたしは誓約(うけい)を行い、煙が流れて言った方向で、海の対岸の部族が朝敵か否か占おうとした。

 

その煙はというと・・・海のかなた、東の大海のほうに流れていった。

・・・対岸の部族は朝敵だった。朝敵と判明した以上、討つには早いほうが良い。

わたしは翌朝、対岸の部族に奇襲をかけることにした。

 

翌朝、いつもより早く兵士らに食事をとらせた。それが終わると、わたしは皇軍を率いて小舟で湖を渡っていったのだった。

 

対岸に上陸すると、我々は村を襲撃した・・・しかし村はもぬけのからだった。男も女も子どもも、人っ子一人いない・・・いったいどうしたというのだ・・・

 

・・・そこに、斥候に出ていた兵士から報告が上がってきた。

 

「タケヌナカワさま、奴らは我々の攻撃を察して後方の山に陣を構えてます!この村の首長であるヤサカシ・ヤツクシは戦の名手で常に用心深く、護りの固い砦を築き、その奥の塹壕に常に住んでいるそうです。

皇軍の気配を察したヤサカシとヤツクシは、住民を皆、砦の奥に隠したものと思われます」

「うむ、そうか・・・ご苦労」

 

わたしは皇軍を率いてヤサカシとヤツクシが籠る砦に攻撃をかけた。

 

しかしその砦はまさに難攻不落、皇軍の総力を挙げて攻撃するのだが、なかなか落とすことができない。しかも土地の事情に詳しい奴らは、突如として思わぬところから現れて皇軍に攻撃を仕掛けては、反撃する間もなく去っていく。

 

皇軍の消耗も大きくなってきた・・・このままでは奴らを落とすことはできない。なんとかせねば・・・

・・・わたしの焦りは、だんだん大きくなっていった・・

 

 

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オオビコの自伝 目次

 

 

霞ケ浦

 

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霞ケ浦/画像は写真ACより≫

 

この話の舞台となっている霞ケ浦は、現在では琵琶湖に次ぐ日本で二番目の大きさの湖となっています。

 

現在は西浦・北浦・外波逆浦に分かれていますが、常陸国風土記が書かれた時代はこの三つの湖は一つにつながっており、さらに東の太平洋にも通じた内海でした。常陸国風土記には現在の霞ケ浦のことを「流海」(ながれうみ)と表記しています。

信太郡の条には「浮島の村があり(中略)そこに住んでいる住民は製塩を生業としている」と記述があります。浮島とは現在の西浦南岸の茨城県稲敷市浮島であり、当時は正真正銘の海であったことがうかがえます。

 

その後、堆積が進んで潟湖を形成していき汽水湖となりました。近世・近代の治水工事により完全に海とは切り離されて現在は内陸の淡水湖となっています。


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