こうして皇后は新羅・百済を日本の統治下に置くことに成功し、船に乗って帰還していった。
ところで皇后は、既に仲哀天皇の御子を懐妊していたが、新羅への渡航前にはすでに産まれようとしていた。しかし、この大事な局面において子を産むどころではない。
皇后は丸い石をとると、それを帯で腹に巻いた。そうやって今にも産まれそうになるのを鎮めたのだ。
そして日本に帰ってきて、帯をほどき、筑紫の国で御子を産んだのだった。
御子が産まれた地を後に宇美(うみ)というようになった。
産まれた御子はホムダワケと名付けられた。後に神託の通り皇位につき、応神天皇と呼ばれるようになる。
またこの時、腹に巻いていた石は、筑紫の伊斗村にあるという。
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神功皇后が御子の応神天皇を産んだ地とされています。奥宮は応神天皇の胞衣を納めてあるそうです。
☆鎭懐石八幡宮
「筑紫の伊斗村」は現在の福岡県糸島市になります。鎭懐石八幡宮がその石を納めた場所とされています。
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