古事記の話

古事記を小説風に書き直してみました

仲哀天皇の征西

f:id:karibatakurou:20200426144803j:plain

ヤマトタケルの父・景行天皇崩御後は、御子のワカタラシヒコが13代目の皇位を継いだ。後の成務天皇である。

しかし、成務天皇の御子は次の皇位を継ぐことは無かった。

 

そして成務天皇崩御後は、ヤマトタケルの御子であるタラシナカツヒコが14代目の皇位を継いだ。

タラシナカツヒコは後に仲哀天皇と呼ばれるようになる。

 

さて、この時代。

天皇の父ヤマトタケルが一度は平定したはずの熊襲が、再び不穏な動きを見せ始めた。再び朝廷の命令を聞かなくなり、反逆の機会をうかがっているというのである。

そこで再び熊襲を征伐すべく、今度は天皇自ら軍勢を率いて西国に進軍することにした

 

天皇は皇后のオキナガタラシヒメを伴って西国に進軍して行った。

オキナガタラシヒメは父方に第9代開化天皇、母方に朝鮮王アメノヌボコの血を引いている。後に神功皇后(じんぐうこうごう)と呼ばれるようになる。

 

軍勢は一旦、穴門の豊浦宮(あなとのとよらのみや)に滞在し準備を整えた後、筑紫の詞志比宮(つくしのかしいのみや)まで進軍して行った。

 

前<<<  白鳥となって - 古事記の話

次>>>  仲哀天皇の崩御 - 古事記の話

 

 古事記上巻 日本神話 目次
古事記中巻 神武天皇~応神天皇 目次

 

 

☆穴戸の豊浦宮

 

f:id:karibatakurou:20200426164628j:plain

 

現在の山口県下関市長府の忌宮神社と言われています

 

karibaryokouki.hatenablog.com

 

☆筑紫の詞志比宮

 

f:id:karibatakurou:20200426164213j:plain

 

 現在の福岡県福岡市東区香椎と言われています。香椎宮神功皇后が夫の仲哀天皇の御霊を祀ったのが始まりとされ、その裏手の古宮が仲哀天応の行宮の跡とされています。

 

karibaryokouki.hatenablog.com

 

karibaryokouki.hatenablog.com

 

 ≪リンク≫
 
カリバ旅行記
温泉の話
駅弁の話
古事記ゆかりの地を訪ねて