ヤマトタケルの父・景行天皇の崩御後は、御子のワカタラシヒコが13代目の皇位を継いだ。後の成務天皇である。
そして成務天皇の崩御後は、ヤマトタケルの御子であるタラシナカツヒコが14代目の皇位を継いだ。
タラシナカツヒコは後に仲哀天皇と呼ばれるようになる。
さて、この時代。
天皇の父ヤマトタケルが一度は平定したはずの熊襲が、再び不穏な動きを見せ始めた。再び朝廷の命令を聞かなくなり、反逆の機会をうかがっているというのである。
そこで再び熊襲を征伐すべく、今度は天皇自ら軍勢を率いて西国に進軍することにした
天皇は皇后のオキナガタラシヒメを伴って西国に進軍して行った。
オキナガタラシヒメは父方に第9代開化天皇、母方に朝鮮王アメノヌボコの血を引いている。後に神功皇后(じんぐうこうごう)と呼ばれるようになる。
軍勢は一旦、穴門の豊浦宮(あなとのとよらのみや)に滞在し準備を整えた後、筑紫の詞志比宮(つくしのかしいのみや)まで進軍して行った。
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☆穴戸の豊浦宮
☆筑紫の詞志比宮
現在の福岡県福岡市東区香椎と言われています。香椎宮は神功皇后が夫の仲哀天皇の御霊を祀ったのが始まりとされ、その裏手の古宮が仲哀天応の行宮の跡とされています。
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