古事記の話

古事記を小説風に書き直してみました

埴輪を立てよ

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天皇が愛した皇后ヒバスヒメが亡くなった。

天皇が悲しみの日々を過ごす中、皇后の御陵も完成した。いよいよ葬儀を行い、ヒバスヒメと最後の別れをしようとしていた時のことだった。

 

天皇の心に引っ掛かっていたのは、弟ヤマトヒコの葬儀の時に聞いた、亡者の声だった。そう、生きたまま殉葬された亡者・・そのうめき声は何日もにわたって地の底から響き、埋められた死体は野獣に荒らされカラスに食われ悲惨なありさまだった・・

 

心優しいヒバスヒメ・・・

サホビメのことを思い出したときも、自分が妹を自殺に追い込んだときも、いつも笑ってやさしく語り掛けてくれたヒバスヒメ・・・

 

そんなヒバスヒメが、側近たちが生きたまま埋められるのを喜ぶだろうか・・亡者の叫び声を聞きながら魂が安らかに眠ることができるだろうか・・・

 

天皇は、日ごろから信頼している野見宿祢(のみのすくね)に、自分の思いを打ち明けた。彼は天覧相撲のために出雲から招かれ、その試合に勝った後、そのまま天皇に仕えていた。

 

宿祢は一計を案じ、答えていった。

「陛下、ならば近臣を埋めるのではなく、代わりに土で人形を作ってはいかがでしょう。これを墓に立てて、後世への定めとして伝えるのです。

出雲国にこのような土の細工を作る職人の集団がおります。早速呼び寄せましょうか」

 

天皇は喜んで賛成した。

直ちに出雲の国から職人が呼び寄せられ、土を焼いて人や馬などの様々な人形をが献上された。

 

天皇はこれを「埴輪(はにわ)」と名付け、 ヒバスヒメの墓の周りに立て、葬儀を執り行った。

 

天皇はその後

「これより後、墓には埴輪を立てよ。生きた人間を埋めることは絶対にしてはならぬ」という布告を出した。

 

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☆埴輪

 

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 この話、埴輪の起源とされています(もっとも考古学的には否定されています)

 

この話、古事記にはなく、ヒバスヒメの死に際して「石棺作」「土師部」(いしきつくり・はにしべ)、すなわち石棺を作る係と埴輪を作る係を定めた、と簡単に記載されているだけです。 

ヤマトヒコの死から野見宿祢の進言を受けて埴輪が考案されるまでの話は、日本書紀をもとに構成しました。

 

 

野見宿祢

 

野見宿祢古事記には登場しません。天皇の前で当間蹴速(たいまのけはや)と相撲を取って勝ち、これが相撲の起源とされています。

もっとも宿祢は蹴速の肋骨を折り、腰骨を折って殺したそうで・・・まあなんとも激しい「相撲」だこと・・・

 

野見宿祢はホヒの子孫とされています。アマテラスの次男で、オオクニヌシに国譲りの交渉役として派遣されるもオオクニヌシの傘下に入ってしまったホヒですね。

各地の天満宮に天神様として祀られる菅原道真野見宿祢の後裔だそうです。

 

島根県松江市神魂神社の裏山は野見宿祢が相撲の修行をした場所と伝えられています。

 

karibaryokouki.hatenablog.com

 

☆佐紀陵山古墳

 

初めて埴輪をたてられたヒバスヒメの陵墓と言われています。

 

佐紀陵山古墳 wikipedia


≪リンク≫
 
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古事記ゆかりの地を訪ねて