また、垂仁天皇の同母の弟、ヤマトヒコが亡くなった時のことである。
当時は主君が死ぬと、その臣下の者も生きたまま墓に埋められる、殉葬が習わしであった。死後も永遠に主君に仕えるようにと、家来の者はみな一緒に埋められていたのだった。
ヤマトヒコの葬儀の時もこの習わしに倣い、側近の者から下働きの下男下女まで、ことごとく生きたまま、墓に埋められた。この時、殉葬されたものの叫び声は、その後数日にわたって墓の周りに響いたのだった・・・
そして、その後長い間、周囲に悪臭を放ち、野獣に荒らされカラスが死体をついばみ、悲惨な光景が続いたのだった・・・
天皇はこの話を聞き、
「いかに古来からの風習とは言えども、生きている者に望まぬ殉死をさせるというのが正しいことなのか」
と、疑問を呈した。
おりしもその後しばらくして、天皇がサホビメに続いて寵愛していた皇后、ヒバスヒメが亡くなったのだった。
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